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第132段「無意味な有意義な時間を」

テレビはくだらないとかツイッターは嫌いだとか色々負の部分あると思うのですが、それはそうだとして、テレビとかツイッター見てると、ほー!とかへー!とかがそのくだらなさと嫌いさの中に紛れ込んでいたりして、その割合って実は現実社会の中の割合とさして変わらないと思ってきたりする。

世界はほとんどのことが無意味なんだけど、だから有意義なんだとでもいうか。

例えば(無理ですけど)全てのあらゆる表現を何を言っても書いても制限なしに自由にすると、そりゃ最初はヘイトだ嘘だ欺瞞だ暴露だ差別だが溢れかえって世界は秩序なく混乱しますが、でもその内どっかで収束する気がする。
つまり何を言ってもよくなるとそれらを言う意味が無くなるから。(根拠無いですが)

人間自体ができの悪いAIなんじゃないかって仮説する。
脳内で処理するビッグデータがそんなに厳密じゃないのと、時々忘れるのと、そのデータの判断が時々エラーを起こすAI。
AIが感情を持てるか?というより、感情自体ができの悪いAIなのではないか?
つまり、できの悪さ自体が人間の生きている本質。

人間の存在はほとんどが無意味なんだけど、だから有意義なんだとでもいうか。

てなことを朝からボーっと旅先のホテルで寝っ転がって考えてる。
他愛も無いし、厳密でも無いし、根拠もない。
でもそんな無意味な思考をボーっとふらふらしてる瞬間が好きだし大切だし有難いし、それが躊躇無くできるのが旅の良いところ。

無意味で有意義な時間を持つこと。
旅をしなくちゃって想う。

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