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AD25「自分の人生に箔を付けること」

最近すごく思うことがあるので、今日はそのことを書こうと思います。
・・・それって、若い頃はそう思っていなかったり、頭では理解していても心では納得していなかったこと。
でも最近なんか自分も歳を食って、なんとなくわかりかけているような気がするのです。

それは、まあ直截に言えば。
「人はブランド品の高級バッグをなんで買うのか?」
ということ。

多分、それはステイタスですよね。
自分はハイソサエティに分類される、ハイソな地位の人間なんだ。
自分はお金持ちなんだ。
自分はそのブランドバッグが買えるだけの資金をかせぐだけの職業についている。or買ってもらえるだけの人脈を持っているんだ。.

・・・まあそんなことを表明したくて、他者にマウンティングしたくて、高級ブランドバッグを買うんだ!と若い頃からずーっと、それこそ子どもの頃から思い続けていたわけです。

で、そうするとその高級ブランドバッグはあくまで他者への自分の地位表明だから、それが高級ブランドバッグなんだって、他人に認識させる必要がある。
するとせっかくかなりの出費で買ったんだから、パッと見でそれがその高級なブランドのバッグだってわかるように、たとえばブランドロゴやブランドマークがはっきり描かれている方がいい!と、まあみんな最初は思って、比較的わかりやすい高級ブランドバッグを買うんだと、こう思ってたわけです。
でもまあ、それが高級ブランド品だって、あからさまにわかりすぎると、一周回ってダサいですから、それはだんだん、そんなにあからさまなブランドロゴやマークが表に出ているわけでもない、でもその佇まいからあくまで高級ブランドバッグなんだって伝わるくらいのデザインセンスで、それこそハイソな人たちには、そのバッグがロゴが描かれてなくてもその高級ブランドバッグなんだってわかるわけですから、むしろハイソじゃない人には気付くことができないわけですから、それこそその高級ブランドバッグを持っていることの優越感はひとしおな、そういう高級ブランドバッグを人は買うんだと、僕は思っていたわけです。

いやいやいや、高級ブランドバッグは、質もいいし長持ちするし、その製品のクオリティを気に入って私はあえて買ってるんですよ!

・・・はい、そういう言舌も当然わかります。
でも、それって少なくとも若い頃の僕は、そう言ってまでも高い高級ブランドバッグを買えちゃうその人の財力の賜物だってことを、その人はうっすらでも他人に表明したくて買っているんだと思っていたわけです。

ちなみに、この話は高級ブランドバッグについて書いていますが、それは当然高級腕時計でも、高級自動車でも、高級タワーマンションでも、豪邸でも、まあ多かれ少なかれ、なんでもそうだと思います。
更に言えば、いい学校へ進学する、いい会社に所属する、かわいいかっこいいパートナーと一緒にいる、自分の人脈をひけらかす、ってことも同様に自分の地位表明だと、それこそ思うわけです。

それって、要は自分の存在に“箔を付ける”ってことですよね。
自分の本来の素養や能力は置いといて、まるで工芸品の表面に金箔をつけることで、高級感を出すように、あくまで人格への表面装飾なんだと。
僕はこの生き方が、はっきり言って嫌いでした。
なのでそう生きている人のことが苦手でした。
でもこれが、最近変わってきたのです。
この『自分の人生に箔を付ける』って、一体どういうことなんでしょうか?
なぜ僕は変わったのでしょうか?

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