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BC23「人生の『勝負』と『きっかけ』—『マクトゥーブとエピファニ』—」

人生にはさまざまな転機があり、変わるきっかけがあります。今回は僕に起こった、人生の『勝負』と『きっかけ』の話です。

嵐山光三郎さんの『不良定年』とい書籍を以前読んだのですが、38歳で平凡社を辞めて、フリーの編集者・作家になられた嵐山光三郎さんの「男たる者、不良オヤジたれ!」っていう彼の生き方を軽妙なエッセーで、おもしろいエピソードと共に指南していく書物で、見倣いたい『考え方』が随所に出てくるオススメの本なのです。その中で一番惹き付けられたのが、『人生十五番勝負』という章です。仮に人が現役でいられるのを七十五歳として、なのでそれ以上生きれば人生の優雅なるオマケらしいのですが、その七十五年を、相撲に例えて、十五番勝負だとすると、五年間が一勝負になり、現在、何勝何敗となるか?というものなのです。

ちなみに『不良定年』では、嵐山さんご自身の星取りが五年ごとに分析してあって『六十五歳の時点で七勝六敗である。できることなら、七十五歳まで生き延びて、勝ち越したい』とあります。そして「人生十五番勝負で全勝なんて人はまずいない」だろうし、「十三日目で全勝だの一敗だのの優勝圏内の力士は、さしておもしろくない。」ともあります。「八勝七敗で勝ち越しで、大逆転賞」って相撲がおもしろいんじゃないか!と。
僕もまさにそう思います。「人生振り幅が大きい方が、おもしろい」というのが、僕の信条でもありますし、その“不良”な生き方、物凄く共感するのです。

そして嵐山さんに倣って、2015年8月時点で、まもなく45歳になる僕も現在までの星取り表つけてみました(笑)。現在九日目の勝負していることになります。

一日目(01~05歳)勝ち○。生まれてきたから、とりあえず勝ちとする。(嵐山さんと同じ考え方です)

二日目(06~10歳)勝ち○。小学生、うん、まあ勝ちかな?いろいろ嫌なこともあったけど、やっぱ楽しかったから。

三日目(11~15歳)負け●。中学生まで。うーん、負けだよな。なにせ全然もてなかったし(笑)。

四日目(16~20歳)負け●。高校、浪人時代。今から考えるとめちゃめちゃ楽しい時代だけど、でも星取り的には負けかな。悶々としてたし。

五日目(21~25歳)勝ち○。華の大学生時代!時はバブル。僕の人生的にもバブルでした(笑)。めちゃめちゃあの頃に戻りたい、一番楽しかった頃です。まさに大勝。

六日目(26~30歳)負け●。テレビ局に就職して、一転して辛い時期。もう会社でずーっと働いてました!そして気付いたら終わってました20代。悲しい。

七日目(31~35歳)勝ち○。仕事も覚え、立場もよくなり、番組も好調!なかなか、よい時間を過ごしました。

八日目(36歳〜40歳)負け●。ゴールデンの番組を無くし、新規会社を立ち上げる。すごく勉強になった年代ですが、結果的に結果を産んではいません。

九日目(41歳〜45歳)勝負中。まさにいろいろバラエティに勝負中。この本書の売り上げにかかっているかも!(笑)。

ということで、今のところ八日目までの結果が四勝四敗です。そっか、四勝四敗のタイなのか!・・・あらためて自分の人生の星取表作ってみると、ギリギリ引き分けなんて、なかなか味のある人生です(笑)。
そして現在九日目を勝負中ですが、本書でいろいろ書いた『オトナの!を始め、映画監督やったり、本を執筆したり、ライブを主催したり、まさにバラエティにいろいろやることになるのは、まさにこの40歳を超えて九日目に突入してからです。そして僕が今の“バラエティプロデューサー”という肩書きで仕事をしているのも、実は最近のことなのです。
それまでは“バラエティプロデューサー”では無かったのか?はい、それまでは“バラエティ番組のプロデューサー”でした。僕は40歳を超えて、バラエティ番組の枠を超えて、バラエティの世界に入り込んだのです。そしてその契機になった事件がありました。

話は1994年の3月にさかのぼります。まもなく大学卒業の3月、卒論も提出し終わり、就職先が決まったら決まったで何もすることがない卒業の一月前に友人と行った貧乏旅行の旅先で、歳上のメーカー勤務のサラリーマンと偶然知り合いになり、夜一緒に飲むことになったのです。「君は卒業したら何をするのか?」と質問され、「テレビ局に入って、エッチな番組を作る」と答えたら、「そんなふざけた職業を君は一生の職業にするのか?」と説教されたのでした。しかし血気盛んな23歳の若者である僕は、
「もし戦争になったら、いらないって言われる職業こそ、真の文化を作るのだ!」
とかなんとか生意気に反論しました。そして、その想いは、テレビ局に入社してからも変わらず、“くだらない”を最高のほめ言葉だと思って、常に“フリとオチ”を考えながら、番組制作をしてきました。

そして2005年のネット界からテレビ界への黒船来襲の堀江貴文さんがきっかけで、僕も3割くらいお金のことを考えるようになりましたが、やはり7割は、その後もくだらないことを考え続けてきましたし、むしろその7割を生かすために3割お金のことを考えるようになっただけで、あの23歳の頃の想いは基本的には変わっていなかったのです。
そしてその想いが結実して2009年にGOOMOを設立し、ネットで独自のバラエティ番組をそれこそ毎日じゃんじゃん作り始め、ウェブの海に意気揚揚と漕ぎ出したのですが、開始当初はこの新たなネットビジネスがうまくいったら、幕末には開国が江戸幕府を潰したように、テレビ界をぶっ潰しちゃうような倒幕運動になっちゃうんじゃないかなんて要らぬ心配をしたりもしたのです。しかしやがて1年もすると、それはやっぱり要らぬ心配で、和魂洋才とは昔も今もよく言ったもので、テレビ番組のノウハウという“魂”をネットという“才”で使ってみたところで、なかなかビジネスにはならないことをまざまざと痛感させられたのが2011年あたりでした。
“不惑”などと言われるのに、自分は惑ってばかりだなと自虐的な気分で40歳を迎え、そんな毎日で花粉症と肩こりがひどい春のある日、会社をちょっと抜け出して15時にマッサージを予約して、20分前くらいに局舎ビルを外に出て歩いていると、不気味にざわめくのでふと空を見上げると、カラスがとぐろを巻いていて、これはなんなのだ?と驚く間もなく、足の下の地の底から巨大な振動が襲ってきたのです。

2011年3月11日14時46分、その時からテレビは東北の火事と津波の惨状を夜通し映し続け、そして次の日テレビ映像はいつしか原発がクラッシュする映像に切り替わり、バラエティ番組は吹っ飛びました。あまりにも多大な被害で、その悲しみは言葉になりません。僕は、東京にいて被害もなく、そんな僕がこの震災を語るのは大変おこがましいことかもしれません。でもそんな僕にも、些細な影響があったのです
翌々日の日曜日に、僕らは当時制作していた『あいまいナ!』という世の中のあいまいなこと(例えば、「太麺と細麺の境界線は?」とか「徳永英明さんの『壊れかけのレディオ』は壊れてるの?壊れてないの?」等)を検証するそれこそ“くだらない”番組でアンタッチャブルのザキヤマさんや矢口真里さんたちと浅草で他愛もないぶらりグルメロケを予定していたのです。そして前日の夜になって会社からロケ撮影中止のお達しが来ました。「そんなふざけたことやってる場合じゃない!」って、そう言われた気がしました。
そしてそう言われた瞬間に、入社直前の学生時代の卒業旅行での、「もし戦争になったらいらないって言われる職業こそ、真の文化を作るのだ!」と生意気に反論したことがフラッシュバックしてきたのです、それは実際は、“戦争”でではなくて“地震”でだったけれども、バラエティ番組を作るこの自分の職業が、いざ実際にいらないと言われる状況になってみると、そのあまりの事実に愕然となったのです。

そしてその瞬間、僕は気付いたのです。今までは華やかなテレビの箱の中でカルチャーの“波”の上を上手に波乗りして、波と戯れたり戦い挑んだりしながらやって来たのでした。しかし今、波乗りできないほどの巨大な津波が現実に襲って来たとき、むしろその津波と戦わずに逃げたっていいんじゃないのだろうか?
逃げて逃げて、そしてまたどこかで生きる。僕が目指したバラエティというのは、テレビの中だけで波乗りするような閉じた世界の娯楽ではなくて、テレビの枠とか囲いとかフレームとか関係なく、もっといろいろの、それこそリアルな人生すべての、すべてのリアルな世界の、まさにあらゆるいろいろな楽しさや喜びやおかしみや暖かさを総動員して、いろいろ駆使して、それがひろまって、それをみんなが楽しんで、世界がぱーっと明るくなるような、そんな世界をめいいっぱい生きることなんじゃないのだろうか?
テレビを飛び出して、ネットとかも飛びぬけて、本当にリアルにバラエティな人生を生きることこそが、本当に僕がやるべき使命なんじゃないか?

こうして、僕は自分のやるべきことが突如見えた気がして、テレビの箱から抜け出そうと再出発したのです。そしてさまざまなことをまさにテレビ番組のフレームを超えてバラエティにやり始めました。『オトナの!』を開始したのは翌年の2012年です。

エピファニーマクトゥーブいう言葉があります。

僕はこの2つの言葉をちょうど同じ日の2015年3月22日に知りました。
実は、僕はこの日の朝、ある小説を読み終えたところでした。ブラジルの小説家パウロ・コエーリョ『アルケミストー夢を旅した少年—』。スペインの少年が夢に見た宝物を探しに旅をしながら不思議な経験をする小説で、おもしろくて夜通しかけて読んでしまいました。その中で主人公がアラブ人の老人から“マクトゥーブ”という言葉を教えてもらいます。


マクトゥーブとはアラビア語で、直訳では「それは書かれている」という意味。

つまり起こりうる物事は既に前兆が起こっていて、それは最初からそうなるべき運命であるらしいのです。そしてあとは、その前兆にその人自身が気づくか気づかないだけの話なのです。
それを読んで「おもしろい考え方だな」と思いました。僕にも起こることの前兆は現れているのだろうか?その前兆に気づくことができるのだろうか?
そしてその日の夜に食事をした友人から、たまたま勧められたある雑誌を手にしたら、その中でエピファニーという言葉に出会ったのです。

Epiphany:平凡な出来事の中にその事柄・人物などの本質が姿を現す瞬間を象徴的に描写すること。

僕はこの言葉をその雑誌『MONKEY』村上春樹さんが連載している文章で知ったのでした。彼が小説を書こうと思ったのは、ある日神宮球場でプロ野球を見ていた瞬間だったらしいのです。その瞬間、「自分は小説を書こう」と思った、そのエピファニーが村上春樹さんに起こったのです。
僕はその瞬間確信しました。僕にもマクトゥーブは以前から現れていて、そのマクトゥーブに気付いたちょうどその日に、エピファニーという言葉と出会ったのだと。
そしてそのエピファニーという言葉を知った瞬間、僕にもエピファニーが起こりました。
「僕のやるべきことは、バラエティプロデューサーなのだ」と。

多分、誰しもの人生の中で、マクトゥーブが現れていて、もしその前兆を逃さなければ、いつかエピファニーが訪れるんだと思います。そしてそのエピファニーをキャッチすることが、人生の“きっかけ”なんだと僕には思えるのです。

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.66 2015年7月25日発行「オトナの!キャスティング日誌」より一部改定]

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