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第165段「目的と苦手の辻褄合わせ」

あくまで自分のことだけど、人の集まりが苦手だ。
(これは何回か書いてるけど)それはそれでもいいと思う。その人の趣味趣向だから。

問題は、人が集まらないとできないことや動かない案件や作れないものがあることだ。つまり苦手でも何かを仕掛けたい時は、(嫌でも)人の集まりに身を投じなければできない。人を集めなければならない。

人の集まり=クラブ的なもの?
クラブを辞書で引くと、「政治・社交・文芸・スポーツ・娯楽などで、共通の目的をもつ人々によって組織された会。また、その集会所。」とある。
なんで会社を辞めたかというと、やっぱりそんな「共通の目的を持つ組織」が苦手だからだろうな。そりゃいっしょに何かを目指すというのは人類の叡智なんだろうけど、なんか自分を他者に合わせたり、逆に競ったり、褒めたり褒められたり、おべっか使ったり使われたり、蔑んだり嫌味言われたりとか、なんなその仲間内感がどうにも億劫なのだ。

何かのことを興すとは、この目的と苦手がどう共存されるかの辻褄合わせだと思う。

で、その辻褄合わせを(僕の仕事的に)勘案すると、エンタメでも教育でも、いろんなプロジェクトを実行するか?しないか?
そのための人が集まるような、自分のオリジナルな場を持つか?(作るか?)、個人で進むか?ってことでもある。

例えば伊能忠敬さんが隠居したのが49歳で、そこから暦学を極めやがて地図を作る旅にでる。糸井重里さんが『ほぼ日』を始めるのも49歳。今までのキャリアを気にせず、それでいてやりたいことを新しいキャリアにしてる。

ちなみに49歳は、僕にとっては今年の夏。50歳手前で、自分がこれからどう生きるか?生きたいか?って人生の選択でもある。

そんなこと思ってたら、画像は昨日の朝日新聞の折々のことば。

「研鑽は馴れあいの中ではできぬ」

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