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BC55「僕らがフェスをやる理由」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.34 2014年3月20日発行より一部改定]

2014年3月6日に赤坂BLITZにて昨年に引き続き、番組『オトナの!』主催の音楽&トークフェス『オトナの!フェス OTO-NANO FES!2014』をかなりの盛り上がりの中開催しました。出演は“神聖かまってちゃん”、まもなく4月にメジャーデビューする“ゲスの極み乙女。”、レゲエの女王”PUSHIM”。さらに“ACIDMAN”となんと“黒夢”。このバラエティーにとんだ音楽の多様性に、最初はかなり不安だったんですが、やってみればかなりの盛り上がり。Twitterなどの感想でも「自分のファンのアーティスト以外に感動した!」って書き込みが多く、また当日の打ち上げでも各アーティストから「お客さんがすばらしかった」というお話がみなさんから出ておりました。近年音楽フェスではいわゆる“○○地蔵”なんていう自分の目当てのアーティスト以外はまるでお地蔵様のように黙してるなんて問題にもなっていますが、“OTO-NANO FES!”では逆にお客さんそれぞれが自分がまだ聞いたことの無い、触れたことの無い音楽を経験することを積極的に楽しんでいるようでした。自分的な分析ですと、それは番組『オトナの!』を普段観ていただいている方が参加してくださっている=いろんなジャンルの天才の音楽を触れてみたい!という意識を多く持っているお客さんが多かったのでは!と考えています。もしそうならば、これこそが深夜のいちテレビ番組がロックフェスを(後援や協賛なんどではなく)主体的に運営していく意義なんだろうなと思っています。
今日はそもそも“僕がなんで音楽フェスを開催しているか?”をお話ししたいと思います。

“僕がなんで音楽フェスを開催しているか?”。最初に答えから書いちゃいますとそれは単に“僕が音楽が好きだから”です。すいません、そんな理由で(笑)。でもその理由がないと、そもそもこれから語るいろんな考えや思いも、そもそも僕の中に産まれなかったんじゃないかと思う訳です。そうなんです、音楽が好きなんです!子供の頃からずーっと好きで、小学2年生の時始まったTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』(1978-1989)を初回から観まくってました。遠足のとき、バスの中で“遠足のしおり”にあった当時のヒット曲を全部そらで歌えたのを当時の担任からあきれられたのを今でも覚えています。ちなみに『ザ・ベストテン』は当時ものすごく画期的な番組で、今では音楽番組でよく観る“ライブ会場や地方の名所からの音楽中継”ってのは実はこの番組が産み出したスタイルなのです。それまでは歌手はスタジオのセットの前で楽曲を披露するだけでした。しかし『ザ・ベストテン』はその時の人気の楽曲をランキング形式で発表する番組です。それまでの音楽番組は放送や収録の日に東京赤坂でスケジュールが押さえられるアーティストだけで、(物理的な理由だけで)出演者を決めていたのですが、それだと本当のランキング番組はテレビではやれないことになります。それこそ当時の中島みゆきさんや松山千春さんはそもそもテレビ出演自体NGでした。でも僕の先輩にあたる当時のTBSの若きディレクター山田修爾(やまだしゅうじ)は中島みゆきさんが大好きで、「ラジオでは流れるけどテレビではほとんど聞けない中島みゆきさんをテレビに出したい」「テレビで本当の“音楽ランキング番組”を観たい」というテレビマンの熱い思いで、「もしその日出演できないアーティストが入れば、そのときは司会の久米宏さんが本当の理由を言って謝ればいいんじゃないか・・・」というものすごく斬新なそれでいてバカ正直な演出を思いつき、そこから番組名物の黒柳徹子さんと久米宏さんの丁々発止のやりとりが産まれたのです。またその考えは「当日アーティストが地方にいて東京赤坂のTBSスタジオに来れないんだったら、その地方から中継しちゃえばいいんじゃないか・・・」という発想に行きつき、それが新幹線のホームで歌う田原俊彦さんやアメリカの砂漠で「TOKIO」を歌うジュリー沢田研二さんなど数々の伝説の“音楽中継”と、それを松宮和彦さん等のアナウンサーがリポートする“追っかけマン”という大ブームを産んだのでした。
ちなみに僕としては、先輩・山田修爾がTBSを定年した9年前の2005年に、そのテレビマン魂に感動して当時チーフディレクターだった『金スマ』で黒柳徹子さんをお迎えして『金スマ“ザ・ベストテン”波瀾万丈』というSP企画でその経緯を放送しました。さらにちなみに、山田修爾さんは去年他界したのですが、ものすごくかっこいい方で9年前の定年間際はアナウンスセンター長をしてたんですが、それと同時に年末の音楽特番では総合演出もしておりました。会社人事的にはアナウンスセンター長が番組の演出をするのはかなり特異なことで、僕はある先輩に聞いたんです「なんで修爾さんは、アナウンスセンター長なのに番組の演出がいつまでもできるんですか?」そしたらその先輩は答えました「それは修爾さんがかっこいいからだよ」・・・そっか、かっこよかったら、番組が作れるんだ。僕もかっこよくなろう!って思ったはじまりです。まだまだかっこよくなれませんが。修爾さん、そのテレビマン魂は受け継いでいく所存です。

そんな“ただの音楽好き”の僕は、というわけでよくコンサートやライブに行きます。プライベートでももちろん、仕事柄いろんなライブに招待されますが、知らないバンドでも躊躇なく何でも行きます。というか仕事で招待されて、なんならバックステージパスもらってライブ行っちゃうのが、そんな“ただの音楽好き”少年の子供の頃からの夢だったのですから、現在夢叶いまっしぐら中です。関係者席なのに盛り上がっちゃいます。ちなみに先日サンボマスターのライブに行って関係者席なのにすげー盛り上がってたら、もう一人尋常じゃないくらい盛り上がっている関係者がいて、誰だろうと思ってたら水道橋博士でした(笑)。あと仕事が重ならない限り、夏にはフジロックやサマソニ、ロッキンオンやスイートラブシャワー、ワールドハピネス等々夏フェスにも行きます。ただ音楽を楽しみに行きます。でもやっぱり、遠出で泊まりのフェスはなかなか行けなくて、苗場でのフジロックフェスティバルは2000年と2008年の2度参加しただけです。前回書きましたが僕は2005年からホリエモン堀江貴文さんのニッポン放送買収事件を契機に“フリとオチ”7割、“お金儲け3割”考えるようになったのですが、2008年、僕はネット配信会社GOOMOを立ち上げる直前、7月末に苗場で開催したフジロックフェスティバルに2度目の参戦をしたとき、ある思いに至ったのでした。

その直前の6月、ちょうど自分が企画・プロデュース・演出していた水曜9時の番組『明石家さんちゃんねる』の秋での終了が決定したのでした。当時は『金スマ』のチーフディレクターも兼務していたので、僕は明石家さんまさんとスマップの中居正広さんとお仕事をご一緒してたのですが、さんまさんと中居さん!ということは7月末の恒例と言えば、フジテレビの『FNS27時間テレビ』。その中でさんまさんと中居さんが毎年やってる深夜の恒例企画『さんま・中居の今夜も眠れない』です。僕は大好きで楽しみで、TBSの僕ですがその生放送中のお台場フジテレビのスタジオにそれこそ関係者として毎年見学に行っておりました。それこそこちらもバックステージパスです。関係者と言ってますが、ぶっちゃけただ観たくて行ってただけです!TBSの人間ですがフジテレビさんにお願いして行ってました。めちゃくちゃスタッフ笑いに混じっておりました。「なんでTBSがいるんや!」って毎回さんまさんにたしなめられていましたが。
それが7月末の毎年の恒例だったのですが、その2008年は『明石家さんちゃんねる』が終了する手前、なんかさんまさんの前に行くのを勝手に躊躇してしまい、スタジオ見学を見合わせました。で、僕のスケジュールがぽかんと空いた訳です。で、フジロックフェスに参戦したのでした。お台場のフジテレビならぬ苗場のフジロックです。

8年ぶりに参戦した2度目のフジロックは、それこそ8年たっておっさんになり体力が減退してるのが一番の原因かもしれませんが、それこそ2000年の頭の中が“フリとオチ”10割人間で参戦した1度目と違って、今や頭の中が3割“金儲け”を考えている人間です。そんな頭の僕には、フェスに参加してもいろいろそれまでとは違った思いがよぎったのでした。それは、

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