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第55段「スケジュールという不自由」

打ち合わせのスケジュールを土壇場で決めると関係者の日程調整が難しいから、結果欠席者が出て、打ち合わせ自体のクオリティが下がる。
だからって、早目に決めても関係者の不確定要素が高くて、近づくとドタキャンになったりして欠席者もでる。
難しい。
打ち合わせの日程はいつ頃に決めるのがよいのだ?

これが何かの本番とかだと流石にドタキャンしないからむしろ大丈夫なんだけど、準備段階とか検討段階の打ち合わせだと皆のその打ち合わせの優先順位が相対的に低いから、土壇場で決まったり、ドタキャンがあったりする。
だいぶ前に決めてて、その日予定確保してたのに、近くになってドタキャンとかされるとホント凹む。

その打ち合わせの時間を確保するのに、だって結構前から調整してたんだよ。
その予定が足かせで、結構調整苦労したりするんだよ。
なのに軽く前日にドタキャンになったりする。
逆に明日空いてませんか?みたいなのも多い。

で、この現象って企業との打ち合わせの方が圧倒的に多い。
つまり企業には、組織の都合が個人の都合より優先順位が高い人が多いってことだけど、問題は僕が組織でなくて個人で働いているってこと。

組織に束縛されることが嫌だから組織を抜けたんだけど、結果組織に束縛されてる人と仕事するということは、その人の組織に僕も束縛されるってことだ。
その組織に抗えるほどの個人の力が強ければいいんだけど(それはどだい無理な話だし)。
難しい。

まあ、自分が不自由を感じるようなそんな組織やそんな人とは仕事しなければいいんだけどね。
でもこれだって実際仕事をしてみたからそんな不自由を感じたわけで、いざ仕事してみないとその不自由な感じは感じられない。なので、予防線が貼りにくい。

つまりある程度の不自由と不快さを感じることは働くことにおいては避けられないってことなのか。

最近、仕事ってそもそも何なのか?ってこと自体を考えてる。
結果、他人に何かを供給しないと仕事はできない。自分で全てを自給できる人は別だろうけど多分そんな人はいないだろうし。

てことは仕事とは多かれ少なかれ、他人の条件に左右される不自由なものなのだ。

それは組織にいても個人でも、そう。あまり変わらない。

組織を出て個人で働いてみて、気づいたこと。

つまり、自由になりたいという理由で組織を抜けることは、あまり意味がないことなのだ。
仕事とはスケジュールという不自由さと付き合う(向き合う)ことなのだから。

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