見出し画像

第108段「職業選択の自由と責任」

一般論ですが、自分の憧れの職業、やってみたい職業、(お金のため)やらざるを得ない職業、(お金もらっても)やりたくない職業、色々ある。
そしてその違いは人それぞれだから、その違いってその人の内面の生き方や考え方がものすごく反映され、その人の外面の身体や振る舞いにフィードバックされる。

僕の仕事をいかがわしいと思う人も、僕がいかがわしいと思う仕事の人も、両方いる。
先日会った僕がいかがわしい人だなって感じた人も、逆に僕のことをいかがわしいと思ってるんだろうなきっと。
それくらいでも真逆な想いなわけで、つまり一人一人が考え方を一致させるなんてほぼ無いのだと思う。

で、例えば政治家って職業が、自分の憧れの職業、やってみたい職業、(お金のため)やらざるを得ない職業、(お金もらっても)やりたくない職業、って人それぞれだから、その人によって政治家への考え方が違う分、政治家の振る舞いへの嫌悪感や期待感や応援感も違うし、政治に求めること自体も違うのだろう。

で、そんな考え方が多様な人の社会自体を治めるまつりごとが政治なわけだから普通の職業以上に難しい身体と振る舞いが必要なんだ。
だからその人自身が(どんな主義主張か関係無く)自分を律することが大切だし、言葉を真摯に選ばないといけないんだと思う。(自分がやりたいか、できるかは置いといて)

で、これは政治家だけでなく、有名人や芸能人や大企業家やインフルエンサーにも多かれ少なかれ同様。その人個人の身体と振る舞いが多者を相手にするわけだから。(自分がやりたいか、できるかは置いといて)

それを引き受ける気概があるか?
無いならやらないか?

どの仕事を選ぶかは自由だけど、その職業選択の自由にはそれだけの責任があると思う。

で、それを踏まえた上で、自分は何を選ぶか?

職業選択の自由と責任は、それこそ年齢や性別や能力や主義主張を超えたところに、本当はあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?