第3段「エモーションの時代はもうはじまっている」

※この記事は2016年8月4日に公開された記事です。

相手に何かを伝えるためには、本当に伝えたいと思うしかない

週刊誌のスキャンダルに、テレビの謝罪会見、選挙報道、バラエティでの独白……。ここのところ感情がダダ漏れしている「エモいシーン」を最近メディアで良く見ませんか。
ネットの書き込みやツイッターでの炎上などでは、いい大人の「激しい感情」が炸裂しているのをよく見かけます。
今回は、モノゴトの本質は、実は“感情”(エモーション)だ、というお話です。
そしてそれは情報革命がもたらす最後にして、最大の価値観の変化だと僕は思っているのです。

作り手の想いはテレビ電波に乗る

テレビ番組を20年以上作っていて、僕がはっきりと確信しているのは、テレビの電波というのは、僕ら作り手の想いがバレる、ということです。
例えば、僕らテレビマンは自分が関わっていない他局のバラエティ番組を見ているとき、「あれ? この雰囲気ちょっと違和感を感じるな?」ってことがあります。
「スタッフと出演者がうまくいっていないのか?」
「プロデューサーとディレクターの間で、うまくいっていないんじゃないか?」
「打ち切りが決まったんじゃないか?」
もちろんプロがつくったものですから、上辺はちゃんとしているんです。
でも、収録現場の雰囲気に出てくるのか、それこそ現場はそつなくこなしても、出演者のトークのカットの仕方や、ナレーションの言い廻しだとか、字幕スーパーの雰囲気とかなのか、自分でも掴みきれていないのですが、独特の違和感を感じることがあります。
もちろん、「この番組のスタッフ、いま調子いいんだろうな!」という波に乗っている感じも伝わるし、「出演者のことを好きなんだな」という想いも伝わってきます。
また、逆のこともあって、体裁や狙いはしっかりしているけど、何も伝わってこない時もあって、そういう時は「マーケティングだけをたよりに機械的に作っているよな」とか、「視聴率取るためだけに作っているな」ということが伝わってきてしまいます。
そしてそれは僕がプロの作り手だから、という側面もありますが、やっぱり視聴者にも確実に伝わって、その番組の人気に直結していくのです。

なんだかオカルトっぽく聞こえますか。確かに僕の戯言かもしれません。でも、それが20年間やっての正直な実感なんです。
この話を先日会食したFMラジオの社長に話してみたところ、「ラジオもそうなんだよ!」と身を乗り出して激しく同意して、こんな話をしてくださいました。
彼は、移動の車中で、自局のある番組を聞いていました。そうすると中身はいつもと変わらないのに、不思議とある違和感を感じたらしいのです。局に到着してその番組のプロデューサーに問い詰めたところ、そのプロデューサーは実は退社を考えていたそうです。
ラジオには視覚情報がありません。いわんやプロデューサーは裏方なので、その放送自体で、彼に直接関わることが聴こえることはありません。しかしその社長には、その番組の異変が伝わったのです。

人が作り出すモノゴトの本質は“感情”である

普段の僕たちの行動の裏側にある“感情”は、今急激に情報技術によって、拡張・開放されはじめています。
今は知らなければスマホで検索すれば良いですよね。こんなにも情報を手に入れることが簡単になると、私たちはその情報が本当に正しいかどうかを自分で判断できる“知性”が求められているのです。
そしてその知性をもってどう行動を起こすかのモチベーションになるのが、“感情”なのです。知性を持った個人が自分の感情にのっとって、欲しいモノだけを欲しい分だけ手に入れる時代になるのです。
例えば今小売業界でも接客の際のお客さんの感情サーチ技術が急速に進化していて、その人の「表情」を認識したり、「鼓動」「姿勢」「歩くスピード」などの生体情報をトレースすると、「買い物に来た客か?」「時間つぶしに店によっただけの客か?」等の購買への積極性が認識できるそうです。
つまり接客とは、今までは買う客も冷やかしの客も同等に扱うしかなかったのですが、これからは買いそうな客だけに積極的に接客するという風に、接客業の中で、感情がより重要なファクターになるらしいのです。
あくまでもこれは一例ですが、情報技術によって、今まで隠れていた人の感情がより顕在化されてきているのです。
僕は、これを情報革命によって、20世紀の「大量消費社会」から21世紀は「少量共鳴社会」になるんだなと思っています。この話は、長くなるので、またおいおいお話したいと思います。
冒頭で述べた、想いこそがテレビ電波に乗るといった、僕の戯言は、まんざら嘘でもないのです。実はこれからはあらゆる局面で、メディア越しにネット越しに、あらゆるものが感情をよりダイレクトに伝えてくるようになるのです。

例えば何か不祥事があり謝罪会見をしても、謝罪の文言それ自体より、実際に謝罪の気持ちがあるかどうか?が特にSNS等では話題にされることが多くなっています。
今までの大量生産・大量広告・大量消費というマス=大衆の時代は「よくわからない人にも売っちゃえ!」「よくわからないけど流行っているから買っちゃえ!」という上辺だけの取り繕った方法が通用しました。
しかし、そういうものはすぐにバレてしまうのです。もう小手先の騙しのテクニックは意味がありません。よほど注意深く作りこんだとしても、それはバレてしまいます。そして、不自然に作りこんだものは、受け手へ一方的な関係のままです。
それだったら、むしろ本当に自分の気持ちがそのまんま伝わるんだ、という前提で行動したほうが、自然だし楽だし、いいものが生み出せるのではないでしょうか?
「本当にいいものを作っているか?」
「自分自身も楽しんで作っているか?」
「騙したりごまかしたりしようとしていないか?」
「手を抜いていないか?」
「受け手に対して誠実であるか?」
テレビだけでなくすべての産業で、すべての送り手は、自分の送り手としての原点、そんな“ピュアな”想いを持っているはずです。だとするならその気持ちをしっかりと核にして、よりダイレクトに伝えれば良いのだと僕は信じています。

ピュアが自然で効率がよくなる

僕が6月までやっていた深夜のトーク番組『オトナの!』では、ゲストの方に、僕らが“テレビ的に話して欲しいこと”ではなく、“ゲストの方が今テレビで話したいこと”を率直に語っていただける番組を目指しました。
それは、今こそメディア戦略的な狡猾なものではなく、率直でピュアな想いが必要だと、テレビ番組を作っている者としてピュアに想ったからです。
ピュア、ピュア言って、少し恥ずかしいですが、それが僕が長年番組を作ってきて素直な想いだからです。
そしてゲストを選ぶときも、僕らはスタッフのピュアな想いを優先しました。例えばミュージシャンの曽我部恵一さんに2014年2月にご出演頂きました。
そのキャスティングの理由は、担当の女性ディレクターのどピュアな想いでした。彼女は結婚して、妊娠して、間もなくディレクターをできなくなるというタイミングでした。最後に私の夢を叶えたい、学生時代から好きだった曽我部恵一さんに出ていただきたいという一途な想いを、曽我部さんに熱く臆面なく伝えて、ご出演をお願いしたんです。
これは現場の制作者としては実は勇気がいることでです。プロであるからには、自分の想いはぐっと胸の内にしまって、視聴者が求めるものは何かを四六時中考えるように、教育されますから。だから、ともすれば手前味噌なキャスティングに見えますよね。
でもその女性ディレクターは曽我部恵一さんのことを日本で10本の指に入るぐらいくわしいわけです。そんな彼女が番組を作るから、どんなトークをしたらいいか、話しやすくなるかとか、視聴率が取れるという理由で選んだ人よりも、よほどおもしろいトークテーマが構成できるはずです。
そして彼女は、プロとして一人前になって、プロでありながら、一人のファンとしての自分のピュアな思いに向かい合ったのです。
結果、話しやすい収録現場を作るため、一緒にゲスト出演いただいたのは曽我部さんとは旧知の仲であるホフディランのワタナベイビーさんと小宮山雄飛さんになりました。そして3人で大いに盛り上がり、普段は口数が少ない曽我部恵一さんも、実際どの番組よりも熱く話してくださったのです。さらに彼女の想いは3人にも伝わって、最後には彼女へのサプライズプレゼントとして、なんと3人が即興で作った歌を演奏していただけました。そして彼女は収録後、熱い思いでそれを編集し、まさにその収録の臨場感が伝わる素晴らしい放送になり、実際評判も大変よく話題になりました。

売り上げをあげたいから、視聴率を取りたいから、相手に何かを伝えるのではなく、相手に伝えたい想いが最初にあるから、それが結果として伝わって、売り上げや視聴率につながるのです。
もはや“相手に何かを伝えるためには、本当に伝えたい”とピュアに思うことが一番自然で効果的です。特に若い方などは、「そんなの当たり前じゃないか?」と思われるかもしれません。でも様々なテクニックを年々努力して習得していくと、ついその気持ちを忘れてしまうものなのです。この文章を連載3回目にして書いているのも、実は僕自身が忘れないためなのかもしれません、誠に手間味噌ですが。
僕のそんなピュアな想い、この文章で少しでも伝わっていると嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?