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女性が好きな無神経なおじさんのはなし

2年前こんな記事を書いていたのを、通知がきて思い出した。

さて、あれから自分はどう変化できただろうか。

相変わらず昭和生まれの古い価値観は自分を支配して所謂アンコンシャス・バイアスは存在しているように思う。(自衛隊なんかやってると余計である)

女性だってビール飲むし、男性だってカクテル頼むぜってハイネケンの動画。
こういうクールなユーモアが好きだな。

「女性に手をあげてはいけない。女性は労らなければいけない。」

「それができるくらいに男は強く、優しくなければいけない。」

考えてみれば、自分の幼少期。男性の横暴によって不幸な目にあう女性を多く見てきたのでその反動というかコンプレックスなのかもしれない。

こういう感覚は強くありたい女性や、弱っている男性を追い詰めるきっかけにもなりかねないのだけれど。自分自身を含めて。

友人関係であっても、まさにアンコンシャスにエスコートやレディファーストをしていたとしても、果たしてそれは思いやりなのか、単純に「自分はこうありたい」という格好つけたエゴなのか。

中には、対等でないという感覚でそれを嫌う人もいることも知っている。

女性だから、男性だからということではなくて1人の個人として、その人を捉えようと意識することが増えた。

相手や周囲もこの感覚でない場合にはややこしいのだけれど。

きっと男性が女性を理解できないわけでも、女性が男性を理解できないわけでもなく、つまりは、人は他人を理解しえないというくらいの態度でいることが大切であり、それでも不意に傷つけてしまった時には、

「傷ついた」「ごめんね」と言える関係がちょうど良いのかもしれない。

性別がなんであれ、誰でも強いときもあれば弱るときもある。

自分にも相手にも過度な期待はしない。どれだけ争ってもどのケースにも当てはまり万人が納得するような黒か白かのボーダーは定義されそうにない。

ともあれ、私も基本的には、女性が好きなスケベである。

世の女性たちの辛苦はすこしでも早くなくなっていくことを願ってはいるけれど、この思いも前述した古臭いマッチョイズムと言われてしまえばそうなのでしょう。

世直しをするクールなヒーローよりも、まずは自分の周りにいる人たちに、自分の無神経をわびて、弱っているときには手助けができるくらいのおじさんをめざそうか。


おしまい



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