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読書感想文:「協力と罰の生物学」大槻久著

会社の良書探求会で読みました。

自分が理解したことをアウトプットしてみます。
間違えてるかもなのでご注意を。


要約

協力するということ

私たち人間は日常的に何気なく他人に協力します。
子供のために自分の時間を犠牲にする、会社で依頼された仕事をする、電車で困っている人に席を譲る、などなど。親切な行いは奨励され、美徳であると教わります。

これは、人間特有のものではなく、動物だけのものでもなく、
カビなども含めて広く生物に見られることなのだそうです。

なぜ協力するのか。
生物の究極の利益は「子孫の数」で、協力するのはお互いの繁殖のため。その方が生存に有利だったため。

直接、自らに「子孫の数」という利益をもたらすものではなくても協力することがある。それはなぜか。
他者に協力している姿を第三者に見せることで、自分の評判を上げて、コミュニティの中での評判を得るため。身も蓋もないですが、腑に落ちます。ちなみにこれを「間接互恵性」と呼ぶ。

私が高校生の頃、他人のためにすることは美徳扱いされているけど、結局全ては自分のためにやっているのではないか…とかって思案していて、それを当時の彼女に話したところ、引かれた記憶が蘇りました。

協力行為の対象は必ずしも家族、親族だけでなく、鳥のオナガのように他人の子供の世話をしたり、チスイコウモリのように吸った血を血縁関係のない者にも分け与えたりする。

それに留まらず、イソギンチャクとクマノミのように異なる生物種間でも行われる。本書では紹介されていませんでしたが、人間と馬、人間と犬猫にも同じような協力関係があると言えるのでしょうか。ミーアキャットやキイロホコリカビのように自らを犠牲にすることもある。

自分の子孫を残すという利益には直結しないのになぜどういう行動を取るのかというと、自分の直接の子孫ではなくとも、親族ならOKみたいなところがあるからです。

フリーライダーと罰

しかし、生物界にはフリーライダーというのが存在する。Free rider。つまりタダノリする存在です。

例えば、今日本でも問題になっている不法移民、利権によって不当に利益を得る政治「屋」、コロナ対策給付金を詐取する人、公金チューチューする団体、勤務時間と喫煙所時間が逆転しているおっさん。これらも全部フリーライダーと呼べると思います。

南アフリカで、地元の蜂アフリカミツバチに単為生殖のできる外来種ケープミツバチが紛れ込んでしまい、アフリカミツバチはそれに気づかず外来種の子供をせっせと育ててしまい、最終的に元の種が絶滅してしまったというエピソードが紹介されています。恐ろしい話です。不法移民にいつの間にか日本が乗っ取られたみたいなことが起きないように、政治家はきちんと対策を取って欲しいものです。

そして、フリーライダーを抑制するために罰が存在する。罰を与えることは快感を与える。その罰には更生を促すものと、制裁を与えるためのものがある。

フリーライダーという存在もそれを処罰するという行為も、人間社会だけではないというのは驚きでした。

感想

知的好奇心が刺激されました。色々腑に落ちて、気持ちが楽になりました。普段の人間社会でのことは、生物学で色々説明がつくと分かったからです。

例えば、私は悪いことをした人は、許せないと思うし、それ相応の報いを受けてほしいと思いがちです。でも、ズルをして甘い蜜を吸う人が存在することは生物界の摂理であると分かったからです。それなら「自然界ってそういうものなんだな」と受け入れられます。だからといって許そうとは思いませんが、下衆な野郎が出現することは一旦受け入れられるかな、と。「あ、こいつもフリーライダーか。」と。

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