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自粛の根拠とか生物としての適正な老若バランスとか

主婦の戯言パート4

なんでこんなに考え続けてるかというと、何が起きているのか、本質が知りたいから。自分で納得しないままに強いられるのは嫌だ。子どもを産み育てはじめると、人生は選択の連続だと分かる。選択には情報が必要で、それはジャッジの為ではなく自分が「大切にしたいこと」の確認作業なのだ。

自粛の科学的根拠

ちょうど一年前の大阪の専門家会議についての記事より

吉村洋文知事による「ピークアウトに外出や営業自粛の効果はあったのか?」との質問には、「データを見る限りは、相関が少ない。欧米などは、何か政策の効果が見えた場合にK値の傾きに変化が出ている。大阪の推移を見る限り、それとは関係なく収束したというと考える方が自然」と回答した。

と、前回なったようだけど。なぜまた?しかも濃厚接触しようがない映画館や植物園が閉まるのはなぜ??空気だけで締め付けられている社会が息苦しい。

ところで「キンキュウジタイセンゲン」て何でしたっけ?という気分になっている。校区の挨拶運動(1週間だけ通学路に保護者が立ってオハヨーというやつ)もなくなり、10名ほどの子供会での通学路清掃も中止。いや、ラッキーとは思ったけど、キンキュウジタイセンゲンの威力に若干ひいています。

極論、陽性者や軽症者は増えても社会への影響はさほどないわけで(これまでそうだったはず)、一番の問題は重症者数つまりは医療崩壊だ。

大阪だけ重症者がぶっちぎり

その点、今の大阪は大変。重症者数が桁外れ。他の地域は100未満なのに、大阪だけ400オーバー。ぶっちぎり。、、大阪だけで見ると重症病床使用率も100%前後を行き来している。

重症になりやすい要素として年齢、基礎疾患、肥満、喫煙などが明白になってきているけれど、地域的なものもあるのかな?仮説の域を出ないものの、死因に関係なく西成区の死亡率が突出している事実との関連を示唆する記事もあった。ふむ。リスク要素に該当する人が多いということなのか。どうなのか。

病床数は多いけど…

ただ、日本の病床数は世界的にみてもとても多いみたい。なのに、医療崩壊が叫ばれている。なぜか?注目すべきは、病床あたりの医師と看護師の数が少ないことだ。

日本経済研究センターの記事(「病床ひっ迫の本質的理由」九州大学教授 馬場園明)によると、

日本では1973年に老人医療無償化が導入され、自宅で生活できなくなった高齢者の社会的入院が広がった。高齢者の社会的入院を受け入れるため、医療機関の病床を増やすとともに、医療現場では患者の回復を促す積極的な治療よりも密度の低い医療の割合が相対的に高まっていった。

つまり、日本の誇る病床数の多さっていうのは介護の為に増やされた結果であって、積極的治療の戦力にはなり難いということ。確かに、ベッドだけあっても仕方ない。だから応急処置として看護師派遣なのだな。でも重症者が出やすい土壌がそのままなら、まだまだ続くのだろうか。より大事なのは、根拠のない自粛よりもそっちの対処なのではなのではないだろうか。

生物としての適正な老若バランス

少子高齢化が事を重大にしている面もある。そしてこの流れ、国のリソースは医療へというよりも高齢者へ流れ続けることになる。多くの高齢者の寿命を、ほんの少し先延ばしする為の対処をすればするほど、若者たちは疲弊する。経済はガタガタで、税金はどんどんそちらへ投入され、バランスを欠いたこの社会を引き継ぐこれからの世代はどうなっちゃうんだろう。高齢者は死んでいいとは言わないが、もう少し生物として冷静に、適正なバランスを取れないものだろうか。





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