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コロナにみる「木と森を行き来する視点」と「効果 VS ダメージ論」

「木を見て森を見ず」というけれど、木と森とどちらの視点も行き来しながら、いい塩梅を見つけるのが大事よな~(難しいのは重々承知!)と、コロナのニュースを見て思う朝。

国家~親子まで、管轄するコミュニティの規模にもよるけど。私ならお母さんなので、まず我が子のことを考える。総理大臣なら様々な状況にある国民生活にどれだけ気持ちを寄せられるか、になるのかな。この視点が木。

母として我が子を守ろうと思ったら、まず自分たちの住む地域の発生状況とか、感染経路とか、我が子たちの年齢の感染者数や死亡者数をみる。その結果、まずは我が子たちが感染する可能性はかなり低いなと(唯一 心配なのは毎日満員電車とバスで通勤する夫だ)。でも感染したとしても、我が子たちの健康状態なら死なないな、と判断してる。世間を巻き込んで大騒ぎだろうが、死んだり重い後遺症が残るレベルの病気なのかどうかの違いは大きい。

次にまわりの人たちへの感染拡大(不顕性感染も含め)させない為にどこまで配慮が必要かな?とか、まわりに不安を与えない為の最低限のエチケットはしなきゃな、とか考えるわけです。これが森の視点。公共性の福祉と言い換えてもいいかもしれない。

国家レベルだと更に、経済や国民生活へのダメージも鑑みないといけないのでもっと複雑になるのでしょうが。0か100かで解決できる問題なんて教室の外にはほぼないのだから。木と森との間を行き来しながら、リスクヘッジしながらやるしかないわけで。

それにしても。今回の全校休校の要請が、無数にある選択肢から選ばれた理由は何だったんだろう?専門家の見解がどうだったからこうなった?くっついてくるリスクへの備えはどこまで議論されたんだろう?(議事録みたいわ)。満場一致の対策もないだろうし正解もないけど、もう少し国民がその根拠に共感できる情報の出し方だったり、納得のいく決め方や対策って出来ないものだろうかー

今回の社会への「効果 VS ダメージ」のバランスをどう見るか?何をするにしてもメリットとデメリットはセットである。専門家の見解やデータ、エビデンスをもとに議論を重ねて、社会的ダメージを少しでも0に近づける対策を打ちながら決行、という流れが筋じゃないかなぁ。そのプロセスが見えなさ過ぎるから、この突然感なのだろうな。。日本の頭脳のトップが集結してるはずだから、私が考えるような諸々は既に議論され1周まわってこの今なのだろうけど…とかとか、ポジティブに考えてみたり。。

余談だけど。効果 VS ダメージ論って、予防接種とか不登校とか社会のあちこちにある問題の根底にあるよなぁ、と思った。効果とダメージを精査しつつ、そのバランスを自分の頭や身体を通して考えられるかどうか?が自分を生きるうえで欠かせないと思う。出した結論が同じでも、そこに至るまでのプロセスを「自分が」辿ったかどうか。そこだな。

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