Paraguay #1 もみじのニャンドゥティを始めるまで
私は高校生の時、母親の影響を受けて海外留学を決めました。当時、15歳でした。留学先は1番遠くて、聞いたこともない国、パラグアイに決めました。なぜなら、「パラグアイに行った」というキャラクターがほしかったからです。高校は、デザイン系の専門的なクラスだったため、個性あふれるクラスメイトに追いつきたい、目立ちたい、という気持ちが少しあったと思います。
パラグアイは素晴らしい国でした!自然が豊かで、風の抜ける広々とした家で、のんびりと一年を過ごしました。一日の中で一度でも時計を見たか、覚えていないくらい時間に縛られない生活を送れました。
南米に位置するパラグアイは、ラテン・アメリカの陽気で晴れやかな色使いが特徴的です。家々、家具、お洋服、テレビの中も、外に出れば、屋台と市場が目に飛び込んできます。私がホームステイしたお家は、前面がオレンジ色で、芝生とグレープフルーツやレモンの木の緑がお互いを引き立てていました。住所をオレンジの家、で締めくくっていました。
パラグアイの刺繍、ニャンドゥティは伝統文化として親しまれており、私が初めて出会ったのは「文化の日」にむけたダンスのイベントでした。学校の行事として行われ、伝統楽器アルパの音色と民族音楽に合わせて、くるくる舞い踊る「文化の日」のダンス。その衣装に、ニャンドゥティがついていたのです。ドレスは、袖がレース編み、胸は伝統工芸のアオ・ポイで作られていました。色は本当に様々で、私はピンクのドレスを姉から借りました。
ニャンドゥティを作ってみたいと思ったきっかけは、中心街の公園で開かれた市場でした。ピアスのお店があり、私は憧れだったピアスの穴を開けてもらって、菱形のニャンドゥティを白と青の2つ、母親へのお土産と自分用に買って帰りました。
買ったピアスを日本で初めて着けました。日本では少し派手かなと思っていたので、美大の文化祭に誘われたときは「いまだ!」と嬉々として身につけました。その時のことはよく覚えています。おしゃれな友人からたくさん褒められたからです!「ステキだね!見たことない。どこで買ったの?」とっても嬉しくて、もっとニャンドゥティが欲しくなって…とうとう作ってみたくなりました!
それから、ニャンドゥティ作家としての人生が始まりました。
次の記事で、本と出会い、どうしてニャンドゥティを作り続けることになったのかを書きたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!