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「自分で考える」ために

いざ、何かを自分で考えようとするならどのようにしていけばよいだろうか?

そのやり方は人それぞれだろう。

そのやり方で今まで問題を解決することができているならば、自分で考える方法がある程度決まっているといえる。

しかし、もし、何かを考えようとしてもうまくまとまらなかったり、自分の納得のいく結論が導き出せないことが多いと感じているのであれば、次のような手順を、その方法の一つとして参考にしてみてほしい。

考える手順

1.考える準備をする
ⅰ)「考える」ための環境を整える
ⅱ)考えるにあたって心がけることを確認する
2.ゴールを明確にする
ⅰ)何が問題なのかを明確にする
ⅱ)考えた結果何を決めたいのかを明確にする
3.考えに行き詰まったときのための方法をいろいろ試す

考える準備をする

「考える」ための環境を整える

集中して考えるために必要な感覚は、人それぞれによってちがう。まず、自分がどんな状態であれば考えを集中できるかをみつけること。ぜったいに静かでないとだめ、という人もいる。お天気がよくないとだめなんだ、というタイプもいる。あたたかいソックスをはいていないと調子がもたない、という人もいる。きみはどうだろう?

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

勉強ひとつとってみても、皆が自分の部屋の机で勉強するわけではない。図書館に行かないと集中できないとか、電車の中が一番集中できるとか、家のリビングでやるのが一番はかどるとか、本当に人それぞれだ。

場所のことだけではなく、例えば音楽を聞きながらのほうがはかどるとか、人とやった方ができるとか、押しのポスターが目の前にあったら頑張れるとか、好きな香りに包まれていればやる気がでるとか…。

これはまさに自身の感覚が決める条件なので、「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」といった周りのアドバイスよりも、自身の感覚を一番頼りにしたほうがいい。

おもしろいユニークな条件が必要だった人たち。
サミュエル・ジョンソン博士は、のどをごろごろならすネコと、オレンジの皮と、お茶が必要だった。
モーツァルトの集中法は、体操することだった。
哲学者カントはときどき、かれ独特のやりかたで毛布にくるまってベッドで仕事をするのが好きだった。
詩人のハート・クレインは、ビクター蓄音機でボリュームいっぱいにジャズをかけた。
劇作家のシラーは、机のうえをくさったリンゴでいっぱいにしないとだめだった。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

本当に人それぞれだなと思う。

ただ一つ気をつけなければいけないのは、自分はこれがいいと思った環境でも、実際やってみて成果があまりあがらないときだ。そのような場合は、環境を再検討したほうがいいだろう。

考えるにあたって心がけることを確認する

何かを考えはじめてみると、いろんな壁にぶつかって行き詰まることがある。考えが行き詰まったときに使うアイディアは様々あるが、まずは行き詰まりを防ぐために気をつけることを頭に入れておくと、スムーズに考えることができるだろう。

自分の思い込みに注意!実際に確認すること

きみの頭のなかにあるもっとも大きな壁、それは自分のすぐ目のまえにあるものをみていない、ということだ。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

自分がズボンを履くとき、右足と左足どちらから先に入れているかわかるだろうか?これを問われたとき、私は自分では左足から入れているんじゃないかと思ったが実際にやってみたら右足から入れていた。

こんな身近なことでも、自分が思っていたのと実際が違っているときがある。
何かを考えるにあたってはいろんな前提条件があるわけだが、その中には、自分が思い込んでいるだけで実際に確認したら違っているものがあるかもしれない。
それを頭に入れておくだけで、行き詰まりの回数は減ってくるだろう。

先入観が邪魔をする

問題にあたるとき、何らかの情報がすでにきみのなかに入ってしまっているんだ。その情報は、きみの頭のなかにつまっていたものだ。もし問題が解決できないとしたら、きみの情報そのものが、頭のなかに壁を作っちゃってるのかもしれない。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

どうして先入観を持ってしまうのか?それは、考えるときにはつきものだ。自分がどんな先入観を持っているか、ちゃんとわきまえていれば、落とし穴を避けることもできる。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

思い込みというものと近いが、先入観というものも、考えるときの行き詰まりにつながるときがある。
考えが行き詰まったときは、取り組むべき問題の前提条件の中に、自身の先入観による条件を勝手に加えてしまっているかもしれない。

もっと自由に、もっと広く考えること

知っていることがすくなくて、自分の考えに確信が持てないとき。そんなときだって、立ち往生してしまわないこと。考えられるかぎりいろんなしかたで考えてみよう。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

問題を解決するときは、まじめでなくちゃいけない。
(中略)…しかし、きみがまじめ一本やりで考えていると、たいせつなキイを見失っちゃうんだ。ときには、頭を自由に遊ばせるのも、すてきな方法だ。ばかをやってるみたいにおもえたとしても、だ。

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

一枚の鏡は、きみの姿を左右反対に映す。それなら、なぜ上下さかさまに映らないのか、考えてみたことはあるかい?

『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ(左京久代 訳)

思い込みや先入観によって、自分が考えるのを邪魔されるだけでなく、自分自身が勝手に問題解決の可能性をせばめてしまうこともある。自分の考えに自信がなかったり、世間一般の考えに引きずられたり、他の可能性を検討することを面倒くさがったりしてしまう。

はっきり言って、自分で考えることは誰の迷惑にもならない。
それどころか、自分で考えることは社会への義務を果たすために必要なことであるし、社会に役立つ第一歩なのである。

どんなふうに考えたっていいわけだ。
だからもっと自由に、もっと広い視野で考えてしまえばいいのである。


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