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彼女の愛した内側(即興小説トレーニング)

「あんた若いのに勿体ないよ。もっといい男見つけなよ」
昼下がりの喫茶店で、私は女友達の百合にいつもと同じ台詞を吐いた。百合は聖女のように笑いながらも、私の話を聞いていないのは、うつろな目を見れば分かった。その目は右手の薬指につけた指輪に向けられている。
百合には無職で大酒飲みの彼氏がいた。おまけに浮気性、ギャンブル好き、借金持ち。駄目人間の見本市のような男だ。話を聞く限り、百合が本命なのかも分からない。
「でも、好きだから。一緒にいたいの」
 虫も殺さないような優しいオーラを纏った百合だが、実際の性格は頑固で、こうと決めたら梃子でも動かない事は分かっている。
 そしてあくまで私は他人なので、これ以上踏み込んで百合と男に何かする事はできないしするべきではないと思っている。できる事はせいぜい、あの男はやめておけ、と思う自分の気持ちを伝えるだけだ。他人からなんと言われようと、百合は幸せそうに見える。虚しい気持ちを抑えて、私はコーヒーを勢いよく啜った。
 ある日百合に呼ばれ、男の家へ行くと、男はボロアパートの一室で、血まみれで倒れていた。一目で死んでいるとわかる血の海だった。誰に、と私が聞くと、心当たりがありすぎて分からない、と百合は言った。
 「結婚しようって言ってくれたの。酒も賭事も全部やめるって」
 静かに語る百合の左手の薬指には、真新しい指輪が光っている。
 「確かに最低な人間で、悪人だったよ、この人は。でもそれだけが全部じゃなかった。彼は誰より優しくて、弱くて、心が綺麗な人だったよ」

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