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合掌の内の声 2023/02/19

日記

・墓所へ。

・ボボボ

・墓へ向かう車の中でくりぃむのANNを聴いていた。なんなら、墓石を洗いながらも聴いていた。ギリギリ罰当たりなような気もするし、許されるような気もする。心の狭い先祖がいないことを祈ろう。

・墓前で手を合わせるとき、一応「綺麗に洗いました」みたいなことを心の中で一言つぶやく。もちろん骨になって眠る人たちに何を言っても無駄だとわかっているし、死んだから内心の声が届くとも思っていないのだけど、なぜか一応意味のある言葉を唱えてしまう。最近は特に言うこともないから「さっきスーパーでみかんを買いました」とか「くりぃむのANN面白いです」とか、完全に意味のない話題になっている。

・それでも手を合わせるときには無心でいられない。なんなんだろう。これが信仰なのかな。



・そのまま夕飯を祖父母の家で食べることになった。そして、なぜか皿に山盛りになったケンタッキーを食べることになった。この写真の外にも、数本のチキンとナゲットなどが並んでいる。

・めちゃくちゃ最高だけど、同時に健康の終焉を感じる。いや、まぁ食べられるうちに食べちゃったほうがいいのか。今の節制が未来を変えるという見方もあるだろうが、それでも私は勝ってみせる。今の強度を信じる!!


・ドンブラザーズが来週で最終回を迎える。

・寂しい。寂しすぎる。

・まだ回収されていない伏線や謎が数多くあるが、たぶん最終回でも回収されないだろうな。私はそれで一向に構わないと思っている。作品全体が面白ければ伏線や謎の回収なんてどうでもいい。特にドンブラザーズの場合は謎を残しながら終わってこそ!とすら感じる。

・東映の公式HPなどでも「ドンブラザーズは終わらない戦いに身を投じる戦士たちの話」という話が何度が出てきていて、さらに「ドンブラザーズは日常に密着した戦士」とも語られている。ドンブラザーズは徹底して、刹那的な日常を登場人物たちが過ごすことで、人々の関係性が進み、その連続で物語が紡がれている。ドンブラザーズは「展開」が登場人物たちを動かしているのではなく、登場人物たちの言葉や動作一つ一つが「展開」を作っている。徹底的に日常の連鎖を描いてきたドンブラザーズが、箱に入った謎や伏線を綺麗に解体して畳む必要はない。中身のわからない箱を残しながら、それでも構うことなく勝手に拡がっていくのが本当の日常なのだから。もしかしたら、あの世界では最終回の後、私たちが知ることのできない場で謎が明かされるのかもしれない。そういう纏めることのできない、無限の広がりを感じさせてくれるのが『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』という世界だと思う。

・やっぱり私は人と人とがかち合って生まれた反応によって世界が無限に広がり、徐々に物語のようなものが形作られていく作品が好きなのかもしれない。それって本当の世界そのものすぎるから……。感涙や。

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