アンと会えた日
昔、母に手を引かれ劇団四季を観に行った。
私と姉、2人はまだ小学3、4年生くらいだったろう。
母は高いチケットが買えず、それでも四季が好きで、その当時(今は分からないが)地方公演に小さな演目の団員隊が回って来てくれるのを期待して会員クラブに入会していたようだ。そして本当に、年に一度程度だろうか、劇団四季はやってきてくれた、九州の田舎である我々の県にも。
母は精一杯でA席を買ったのだろうと思う。
その日、母は私たち姉妹にピアノの発表会でしか着せてもらえなかったよそ行きのワンピースを着せた。
私たち姉妹の心は緊張と少しの不安でいっぱいだった。「赤毛のアン」と言う、本の名前だけは知っている演目だった。どんな話だろうか、面白いだろうか、理解できるだろうか、そんなことを思いながら、一階席の中程から少し後方に席を探していそいそと3人で腰掛けた。
子どもの目には分からなかったが、随分と空席があったらしい。横も前も人がおらず、会場はとても静かだった。いつもは大人しい母が、開演10分前かのブザーが鳴ったとき、案内係のスタッフに何か話しに行った。
母が戻ってきたとき言った。
あまりにもお客様が少ないこと。もし可能ならば、A席の範囲内で1列、2列でも前にいって観劇しても構わないか?と聞いてきたと言う。
私たち姉妹はうろたえた、恥ずかしい、スタッフさんに怒られやしまいかと小さく縮こまった。
今思えば、
貴重な観劇の機会に、私たち姉妹に出来るだけ前で観劇させてやりたいという気持ちが母をそうさせたろうと思う。
母には、来て下さった団員さんたちに申し訳ない、もう来てくれないかも、前方に少しでも人が居たほうが…という気持ちもあったろうと思う。それほど、前方の席になるほどガラガラだった。
「開演5分前までお待ち下さい」と言われた母は、半ば断られたと思ったようだったが、もうほぼ開演時間となったとき、1人のスタッフさんが私たちの席までソッとやってきて、前方に空いている席を確認出来たのでご案内いたしますと言う。母は何度も何度もお礼を言い、ついていくと
何と、最前列から2列目の中央席を案内された。
私たち姉妹は促されるままに着席し、母は大いに動揺してスタッフさんにS席に座る資格はないと伝えていたが、やがて何度も頭を下げ、席についた。お嬢さんたちに観せてあげてほしいと、言ってくださったそうだ。涙ぐみながら、母はよかったね、と繰り返した。
さて、私たち姉妹はと言うと、それから繰り広げられた舞台のすっかり虜になってしまった。
赤毛のアンが、髪染めを失敗したシーン、腹心の友ダイアナと歌うシーン、癇癪を起こし黒板を叩き割ったシーン、スプーンリレー、恋、そして旅立ち、、
目の前で、全てが、生きていた。
2列目から見上げて観劇した私の瞳には、
役者さんの額から滴る大粒の汗、
走り抜けるときに巻き起こる風、
一斉に踊る力強い足音の振動、
歌声の一体感、迫りくる呼吸、
止めどなく頬を流れる本物の涙、、
全てを、飲み込むようにして食い入って見つめていた。呼吸を忘れるほどに。
あっという間に!幕が降りたとき、私は生まれて初めてスタンディングオベーションを見た。
多いとは言いがたい、観客が総立ちしていた、
そして1人1人のあらんかぎりの力を持って盛大に拍手をしていた。会場全体が一体となっていた。私たち姉妹の、手が真っ赤になって痺れるほど拍手した。あとでピリピリ痛いほどの拍手は一生にこれきりだ。
今になって思う。
地方の小規模劇場で、観客もまばらなのに、カーテンコールに何度も、何度も、キラキラした笑顔でいっぱいに手を振って下さったこと。幕が降りても降りても鳴り止まない拍手に、深々と腰を折りカーテンコールに5回は答えて下さったことの奇跡を、今だからこそ深く思う。あんなにも熱演して下さったことを。
あの夜の、奇跡みたいな体験が、いまも私の心の底にキラキラしていて、砂金みたいに光る。
眠れない夜、静かにときおり思い出す。
私がその後、演劇の世界に進んで大成したとか、そんなことは全くないんだけど、、もうすぐ40を迎えるええ年のおばさんになっても、忘れることのできない出来事。
今でも、あの時のアンが、私の心の中で生きている。
私は今でも、劇団四季が大好きだ。
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