自己紹介
noteを開設して4年経つのに、一度も投稿していないことに気が付き、新し人生のスタートを機に、一念発起してのスタートです。
自己紹介、何を言えばいいかなと思いながら、AIの発達したこの時代ならではの「AIによる自己分析」なるものを公開します。
エニアグラムプログラムによる性格分析は次の通りです。
タイプ8<ニックネーム:挑戦する人>
タイプ8このタイプの人は、自己主張が強く、何事にも第一人者であることを志向します。自分には活火山のような力があるという感じをもっていて、他人には頼らず、正しいと思ったことをどんどん推し進めて行きます。
物事を決定する力があり、自信が自然に周囲で感じられます。弱い者、自分を頼ってくる人を助けようとする反面、対立する人、自分に挑んでくる人を排除しようとします。強烈な体験を好み、挑戦し、困難を克服することで、自分は生きていると感じます。
力によって周りに影響を与え、人を動かすことを好みます。自分の弱さを見せたがらず、自然に備わった力で人を引きつけ、場を盛り上げます。本能的な直感が鋭く、簡潔、明快、率直です。不正は断固として許さず、好き嫌いがはっきりしています。
このようなことから私たちは「挑戦する人」(THE CHALLENGER)と呼びます。
ということで、かなり言い当ててる感じですね。
さてさて、私はこの4月に、公僕から無事解き放たれて、正真正銘の自由人になりました。
宮崎県宮崎市生まれの九州男児
しかし、父親は職務上、3年ごとの転勤だったため、九州から東海・信州地区を転々としました。小学校は、3校、中学校は2校通いました。
高校になると、流石に転校はできないということで、父親に単身赴任してもらいましたので、高校・大学が、初めて、入口と出口が同じ学校になりました。
大学卒業後には、転勤がないだろうと見込んだ地元の自動車関連会社に就職。しかし!Tカレンダーなるものに縛られた社会人生活に疑問を抱き、「勤労感謝の日なのに、何で仕事があるの?」「GWや年末年始は10連休!なのは、一般社員だけで?ライン切り替え部署の私たちは、除夜の鐘を聞きながら徹夜?!」「現場応援で狩りだされ、夜勤の一人冷や飯は淋しい!」「家で夕食を取れるのは金曜日だけ!」という日々。
そんなこと考えているうちに、「ラクそう!」というイメージで公務員試験に挑戦。見事合格!したものの、意外にもブラックで、土日もボランティアで出勤という環境。
そんな環境に疑問を感じながらも、業務の中にやりがいを感じている間に、年を取って行く。
いつか、結婚したいと結婚に憧れながら、若いときからモテなかった自分は、振られに振られ続けて、独身生活35年。それでも諦めない私に、神様が最高の出会いをプレゼントしてくれました。知人の紹介で、8歳年下の妻がこんな私と結婚してくれました!私36歳、妻28歳のときでした。
美味しんぼの自分は、母親から「あんたには、料理の下手な奥さんしかこない!」と言われ続けたのですが、結婚してくれた奥さんは、料理が得意で、裁縫やお花など何でもこなせる女子力が高い人。
しかし、次の問題が・・・。
そう、子どもができない( ;∀;)
結婚後、子どもに恵まれない二人。ついには不妊治療も初め、辛い日を過ごしながら、待つこと3年。いつもと様子が違うと、不妊治療を受けている病院へ行きました。エコーで見た画像には、ドク、ドクと脈打つ心臓が映し出されていました。その画像を見ながら、二人で手を取り合って喜んだことは、今でも忘れません。そして、10月に、無事、長女が生まれました。
しかし、禍は喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないですが、幼児教育をどうするのか、いわゆる、教育パパになってしまいました。
ピアノに英語にと学習は勿論のこと、しつけ的にも、今思えば厳しく育ててしまいました。
そんなダメ父親の下、長女は素直に育ってくれました。
そこから、運も味方し、希望していた海外での生活も実現。海外駐在員として、3年間、台湾高雄に出張!そこで、次女にも恵まれました。
次女は、台湾で生まれ、海外出産なるものを経験しました。台湾では、生まれた子は、お母さんのお腹の中と同じ状態がいいということで、タオルでぐるぐる巻きにされてました。傍から見てると、きつくて可哀想なぐらいでした。また病院食は、常に中華料理。流石に飽きてきて、私がオニギリをもって行ったこともありました。
妻の出産に伴い、妻の母が2か月間、台湾に移住してくれました。中国語は勿論喋れません。また、水道の水は飲み水に使えないなど、日本とは環境が全く違う中、一人で現地の市場で買い物をしてくれました。苦しくも楽しい駐在員生活も、無事、終えて帰国しました。
懐かしい日本への帰国でしたが、帰国して1年。逆に日本に馴染めず、何度台湾に戻りたいと思ったことか。早速、台湾へ心を癒す旅に家族で出かけました。やっぱり、現地の人は暖かく、どこに行っても大歓迎で迎えてくれました。その時受けた恩をいつの日か返したい!その思いが今の自分の行動源になっています。
娘二人は、すくすくと素直に育ってくれました。その素直さに乗じて、教育パパが更に頑張っちゃいました。周りでは少なかった中学受験をしたのです。理由は、「地元の中学が荒れていたから」。小学校4年の冬から始めた受験勉強ですが、見事第一希望の学校に合格できました。
その成功を私は、完全に勘違いしてしまいました。次は、さらに上を目指そうと、ダメ父親になって行きました。
元々運動が好きだった長女は、運動部に入ったのですが、運動は好きでも、上手くはなかったんですね。慣れない電車通学で、朝練も始まりました。練習をしても、そんなに上手くはならず、いつの間にか「からかいの的」になりました。その上に、ダメ父からの勉強へのプレッシャー
そして、中学2年生の4月1日。泣きながら、「体が動かない」と訴えたのです。それは、不登校の始まりでした。
その日から、心療内科にもたくさん通いました。それでも、不登校は改善されず、夫婦二人で、涙が枯れるほど泣きました。
ただ、学校はカトリック系だったので、本当に優しく答えてくれました。
あなたがすばらしいのは「あなたがあなた だから」それ以外の理由は付け足しにすぎない
その言葉にどれだけ救われたか。そのおかげで、高校生になるころには、復学することができ、大学も拾う神さまのお蔭で、合格することができました。
当時は本当に大変でしたが、その辛い経験があったからこそ、ダメ父親から少し立ち直ることができたと思いっています。長女には、今でも申し訳なく思っています。
その後は、公僕として、ブラックな職場環境にもかかわらず、定年まで勤め上げました。
実は、何度辞めようかと奥様に相談したことか。しかし、その度に言われたのは、
「そんなに嫌なら、辞めてもいいよ。私が代わりに働くから、でも、今の私はパートしかできないので、今の生活水準はさげることになるけど、ごめんね」
いやいや、奥様大好きな私としては、そんな言葉を言われたら、頑張るしかない。ということで、何とかここまで来れました。
しかし、心の中では、やりたいことだらけ。
美味しいものと、素敵なお酒、旅行が大好きです。今は、完全に日本酒にはまってしまい、自宅には、日本酒が16本入る日本酒専用の冷蔵庫まで買ってしまいました。また、美味しいお店には、値段を気にせず通う日々です。
定年後は、別の職場でという選択肢もあったものの、新しいことに挑戦したい!ということで、この年になっての【起業】を決意!
KAKOIが世界中で「知ってる!」と言われるよう、世界中の人の笑顔・感動・安心をテーマに、グローバルな活動に日々取り組んでいます。
そして、自分の『三大やり遂げるゴール』の実現します!
大好きな奥様の笑顔がずっーーーと見られるように、これからも頑張ります!!