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110  旅は人を変容させるのです  かっこちゃんへ

  かっこちゃん、今日で9月も終わる。
心の中に少し寂しい気持ちが生まれるのは、秋の風のせいだけじゃないね。
大きく変わるときには、大切人なとの別れもある。
どうでもいいような人なら気にもならないけれど、ずっと兄弟みたいに仲良くしてきた友と心が通わなくなるのは時にとても辛く心が痛い。
だけど、出会いは別れの始まり。
それも、きっといつかのいい日のためにあるんだ、宇宙の約束なんだね。

 旅をして、新しい出会いが生れて、泣いたり笑ったり、
同じ景色に心動かして毎日ずっと一緒に過ごしているうちに、
きっと内側で何かが変わってゆくのだろう。

 日常生活の中で、僕たちは知らず知らずのうちに「あるべき自分」を演じるようになってゆくようです。
会社員である自分、社長である自分、父である自分、息子である自分、夫である自分・・・それは、社会という概念の中で役割を演じる役者のようなものかもしれません。
さまざまな関係性の中で成り立つ仕組みの中では、そうせざるを得ません。
 ところが、いつの間にかその役割を「自分」だと錯覚し始めます。
そして、役割を演じることだけにエネルギーを使い果たし、疲れ果てて寿命を終えてゆく人がとても多いように思えるんだよ、かっこちゃん。

 僕たちは、役割を演じるためにだけ存在するの?

 僕は思うんだ。
どんなに時が流れても、どんなに時代が変わっても、
決して変わらない本当のこと。
それを探して歩き続けるのが、人生という旅じゃないのかなって。
そして、いつの日にかサムシンググレートと出会うんだよ。

 旅に出て、日常から離れて、
非日常の時空に身を置く時、人は自分勝手に作ってきた「私という錯覚」に気づく。
見たことも聞いたこともない世界の中で人は驚く。
そう、驚いたとき人は考え始めるんだよ。

「知らなかった!」って。

人は「知らない」という驚きによってのみ考え始める。
誰もいきなり考え始めるものではない。
だから、考えてもらうには驚いてもらうしかないんだ。
それが僕がイスラエルの旅を続ける大きな理由の一つなんだよ。
かっこちゃん、驚かせるには自分が驚いていないとね。
驚きを知っている者だけが、驚きを教えることができるのだもの。
そして、知らないことに直面したとき、その人がどんな風に考えてゆくのか。
その姿勢が人を動かすんだ。
僕がかっこちゃんに驚いてやまないのは、知らないことに向き合い、
向かってゆくかっこちゃんの姿の美しささ。
 今回の旅でもいっぱい驚かせてもらったよ。
ペトラでもう倒れこんでしまいそうなくらい、炎天下の中歩き続けたね。
それでもかっこちゃんはメルマガを書いて発信していた。

ヨルダンからイスラエルにゆく国境で、僕たちが通る前日にテロがあり係員3名が銃撃され死亡した。テロリストはその場で射殺。
それで急遽エジプトとの国境に近いエイラットまで南下して、国境を越えた。
何時間もアラブのデコボコ道を揺られているうちに、何名もの仲間が具合悪くなった。
イスラエルでバスを乗り換え、それでもまた何時間もガリラヤ湖のホテルまで走り、
さすがに僕もくたくたになった。
それでもかっこちゃんはメルマガを発信していた。

なんてすごいことなんでしょう。
僕は、ようやく今頃旅のことを振り返って言葉にしています。
それほど、ずっと驚いて考えて、言葉にならない旅でした。

「赤塚さん、39回もイスラエルに来て、飽きません?」
と、聞く人があります。
それはね、かっこちゃん、その人が旅行はしたことがあっても旅をしたことがないから、そんなことを聞くんだと思うんだ。
 絵葉書のような写真をたくさん撮って、アルバムを作る。
行き先を増やす。何か国に行ったと誇る。
それは旅行。それはそれで楽しいでしょう。
 でも、僕にとってイスラエルへの旅はそうじゃない。
自分がいかに何も知らなかったか、それを知るためのひとときなんだ。
一緒に旅する仲間たちとの心のふれあいや喜び。

「この旅を通じて、生涯つきあえる友だちができたなら、
 旅は成功と言えるでしょう」

そんな糸川英夫博士の言葉を何度も噛みしめた旅でした。
旅は、非日常の時空で、日常の緊張から解放されて心が緩み、
ふと流れ込んでくる宇宙のメロディ。
 僕たちは子どもの頃から、「正解」だけを追い求めてきたね。
問いに対して答えを見つけることを勉強だと思ってきた。
だけど、かっこちゃん、イスラエルへの旅を通して答えのない問いがこの世に存在するのだと知ったよ。
「考える」とは、答えを得ることじゃない。
答えなんかなくていい、自らに問いかけ、問いを立てて、「考える」んだ。

 多くの人は文字が書けて、話せれば、言葉していると思っているけれど、
とんでもないことです。
それは、鳥が鳴いたり、犬が吠えたりするのとなんら変わりないのです。
言葉するとは、「考える」の別名なのです。
かっこちゃんのメルマガは、すなわち「考える」という能力の別名です。
もちろん、この文通も「考える」言葉の交換であり、僕たちが人間として生きていることの証明でもあると思うのです。

 普段TVや新聞で見たり聞いたりしているものを「情報」と呼んで、
みんなありがたがっているけれど、本当にそうなのかな。
それは「情報」かも知れないけれど、「真実」ではないよね。
伝えている誰かの伝えたいことさ。
だから、本当のことが知りたかったら自分で体験するか、
信頼する人の意見を聞くべきだよ。
かっこちゃん、僕の師匠の糸川英夫博士は、こう言った。

「新聞で信じていいのは、日付だけです」
まったくその通りだ。
 少し前、高知の新聞が日付をひと月間違えるって出来事があった。笑った。
日付も信じられないのか・・・

それにしても今回の二つの旅は、実に僕を驚かせてくれた。
そしていまもなお驚いています。

 ガリラヤ湖畔、イエスが弟子のペテロと出会った場所。
それから3年後に、イエスは十字架にかけられて殺されます。
イエスは、弟子たちにあらかじめ起きることを話し、3日後に復活することを伝えていたにもかかわらず、みな逃げました。
 裏切ったのはユダさん一人ではなかったのです。
12弟子全員が先生を見捨てて逃げたのです。
エルサレムの都にいることが怖くて、またガリラヤに戻り漁に戻っていたのでした。
 裏切りたくはなかったし、本当なら一緒につかまっても良いくらいに先生のことが大好きだった弟子たち。
でも、だけど、イエスを殺せという民衆の恐ろしい圧力に負けたんだ。
自分に絶望しただろうね。
どんなに苦しかったことか、自責の念に駆られて。

 ガリラヤに帰ったところで、気が晴れるわけないよね。
そこに復活のイエスが現れるんだ。
夜通し漁をしたのに一匹の魚も捕れなかった弟子たち、岸に立っていたのがイエスでした。

「おーーい、子らよー! 一緒に朝ごはん食べよーー!」

すごいよね、かっこちゃん、ここまで許し、愛を表してくれる人が人生に存在した。
それを体験した弟子たち。
この世に勝利し、ただ愛そのものとなって包み込む。
そんな無条件で一方的な愛に触れて、ついにペテロはじめ弟子が変容する。

 そこからの弟子たちの活躍で、イエスの教えは世界に広がった。
死の恐怖も超えて、イエスキリストが伝えたかったこと、命の本質を人々の心に届けていった。 変容したんだ。
 人は自分の中にある恐れに向き合えたときから、自分を生きることが始まるんだね。

聖書の中で最も好きな場面であり、美しいイエスの愛に触れる瞬間でもあります。
その場所で何十回と聖書講義をしてきました。
ある映画監督は、僕のすぐ横にキリストの目を見て、短編映画を作りました。
ユダヤ人のことを書いてベストセラー作家となった友は、その場所で自分の隣に立つイエスと対話したそうです。
 僕にとっても、とても大切な場所なのです。

 そこで教会の神父が喚き散らしている。
平和君が話に行ったけど、らちが明かない。

「ここは教会のプライベートビーチだ。
 勝手に入るな! 出ていけ。
 裸のユダヤ人が泳いだら困る!」

いや、見たらわかるでしょう、僕は聖書を持って、みんな静かに座ってる。
どこに裸のユダヤ人がいるの?
イエスの伝えたかった無償の愛を、このもっとも重要な場所で話しているだけじゃないか。

かっこちゃん、20年以上前からそこで話続けてきたんだ、僕は。
いつもなら1時間ほど話すのを30分余りで切り上げて、僕は神父のところに行った。

「警察を呼ぶぞ!」

もうダメだ、この神父は。
つい僕も大声になってしまった。

「バカヤロー! お前がここに転勤するずっと前からここで話してるんだ。
 警察でも軍隊でも呼んで来いよ」

イタリア語でわめき散らす神父は、僕の友人でもある旅行社にもクレームの電話をかけていったそうです。
旅行社が、「あそこは公の場所であり、プライベートビーチなどではありません。
あなたが間違っています」と言うと、神父は、「予約さえしてくれたら入れてやる」と答えたそうです。
 行くもんか、あの神父がいる限り。

 かっこちゃん、イエスキリストを殺したのも宗教家だ。
宗教家たちは何も変わっちゃいないね。
宗教裁判の名のもとに600万人の女性を火あぶりにしたカトリック。

 いつまで宗教戦争を続けるんだろう、人類は。
もうそろそろ賢くならなければいけないと思うんだけど。
ガリラヤ湖畔での小さな宗教戦争。いろんなこと考えさせられたね。

 かっこちゃん、僕は思う。
 宇宙の約束は決して間違えない。
でも、それは自分の思い通りに進まない。
だけど必ず思い通り以上の奇跡とも思える出来事をプレゼントしてくれる。

今回の旅は、誰もが皆、大きく変わるきっかけになったね。
文通なかなか書けずに、「かっこちゃん少し待っててね。旅は人を変えるね」とラインしたら、かっこちゃんは、

「ううん
 赤塚さんとの旅が人を変えるのです。

 時間も
 お金も
 何にも代えられない
 かけがえのない時間

 間違いないです。
 ありがとう
 赤塚さん

 赤塚さんという存在が旅を輝かせるよ」

嬉しいことを言ってくれるねぇ。ありがとう、感激です。
もっともっと話したいことがあるよ。
もうひとつのイスラエルの話も聞いて欲しいよ。
すぐまた書くよ。

  秋の風だね。
   またな、かっこちゃん。

      高仁

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