まだまだトンネルの中だけど、進んでます。

大学も上手く卒業できなかった。卒業制作を始める頃、
ギクシャクしていた母が、あっけなく亡くなった。
母に自分の
寂しかったこと、してほしかったこと、誤りたかったこと、甘えたかったこと、恨みつらみをたくさん溜め込んでいた。
いつか、吐き出そうと、たくさん溜め込んでいたのに。
それのどれも叶わず、
あっけなく。
卒業制作も、自分の、不甲斐なさを知るだけでうまく、進まなかったのに、さらに、進まなくなった。
落書きみたいな感じで提出し、多分、ギリギリ。
その後も自分の夢がわからない、何をしたいかわからない。
でも、なにかしないと生活できない。
そこから長いトンネルに入っていた、真っ暗で寒~いトンネルから、今は、薄暗ーいすこしあたたかい風が時々は入ってくるトンネルかなあ。
昔より遥かに心の荷物が少なくなっている。

トンネルに入り込んだばかりの頃
すれ違う人の中には、凄く親身になってくれた人がたくさんいた。
優しい声をかけてくれたり、手を握ってくれたり、本を見せてくれたり。色々。
私はそんな人にも、
嘘をついたり、
笑顔も見ないふりで顔を背けたり、
手を振り払ったり、走って逃げたり。
そして今でもずっと独りで歩き続けている。いろいろな人が立ち寄っては過ぎていった。

長い間、ずっと、トンネルにいる。
今は立ち止まり、昔を懐かしむこともできるくらい長くなったね。
考える時間もたくさんあった。
母には母の人生があったが、寂しい人生だったかもしれない。
孝行もできなかったことを詫びる。子供の笑顔が親の癒しになることを今更知り、笑顔を沢山母に贈ればよかったなあと、思う。

通り過ぎてゆくひとに、手を振り返すことも、笑顔を返すこともできたのに。

できるのなら、トンネルを引き返して、過去に親切にしてくださった方々に会い、お詫びと感謝を伝えたい。

友達の作り方もわからず、一人で教室にいると、いつも一緒に帰ろうと誘ってくれた、Tさん。煩わしさがあって、心のなかでは、独りで好きに帰るのに、面倒、と思うことが多かった。
ごめんなさい。
バス遠足で、運転手さんのすぐ後ろの席に座った。酔ってしまうから。
Tさんは、心配だから、と、横に座った。先生は酔わない生徒は後ろに、といったのに、友達だからと。
私は心のなかで、えっ、友達なの?そんなに好きじやないのに。なんて、思ってた。
おしゃべりも辛いので、無視してしまった。
具合が悪くなってしまったあと、
炭酸飲料を買ってくれた。ちなみに彼女のお家はかなり貧乏。
私のうちも貧乏だけどその3割増。
炭酸飲料は嫌い、と、はっきりいってしまう、空気読めない自分。
ごめんね、と、謝るTさん。
今思い返すと、なんて、酷いやつ、自分。
ゲロはいて、その袋も処理してくれて、飲み物も少ないであろうお小遣いから、買ってくれたのに。
それでもずっとそばにいてくれた。
本当にごめんなさい。
その後も、いつも声をかけてくれたり、そばにいてくれたのに、
私は、ウザがっていたと思う。
卒業式の頃には、私のそばにTさんはいなかった。
どう思っていたのだろう。
不甲斐ないやつと、思っていただろうか?
いつも独りでかわいそうなやつ、
とか?
親切にしても、理解しない変なやつ?
最後の日、Tさんが、
友達と、思ってたよ。
あなたはそうは思っていないことは、わかってたけど、勝手におもっていた。
私は高校には行けないから、もう会えない事もわかってる。けど気持ちを話したかった。
と。
その時も私は、
ごめんなさいも、ありがとうも、言わなかった。言えなかった。
その時の私には、そのことの素晴らしさが、まったくわかっていなかったし、理解もできなかった。

なんで?
くらいな受け流し方。

今。駆け戻っつてTさんの手を取りお詫びと、感謝を伝えたい。ハグして、土下座して謝りたい。

Tさんが私にしてくれたたくさんの温かさ、今はわかるので、今からでもお友達になりたい。もしも、悩みがあるなら、聞きたい
困っているなら助けたい。
本当にごめんなさい!ありがとう。

トンネルの中は、振り返って叫ぶことはできるけど、戻ることはできないんだ。
ごめんね~
ありがとうねー
って。
振り返って、叫んでる。
この先に、もしもTさんが、通ることがあれば、直ぐに駆け寄って謝りたい。
だから、前に進んでいこう。
いつでも胸を張って会えるよう、がんばって、進んでいくからね。



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