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「命日」2023年8月31日の日記

今朝、叔母が亡くなった。
息があるうちに会っておこうということで今日向かう予定だったが、寝ている間に容態が悪くなり、到着した頃には既に亡くなった後だった。


面会は2人ずつということだった。まずは祖母と母親が入り、その後に私と姉で入った。

3日前くらいから心肺停止で病院に運ばれたということを聞いて、ずっと覚悟はしていたのだが、それでも叔母の亡くなった後の姿を見ると頭が真っ白になった。

傷一つなく、眠っているかのように穏やかな顔だった。頬に触れると、生きている人と変わらず柔らかく、まだ暖かいような気がした。これだけを見ると亡くなっているとは到底思えなかったが、少し青白くなった顔や色彩の無くなった唇を見ると、もう二度と戻らないことが分かった。

15分という短い面会時間の中で、私はまともに叔母の顔を見ることができなかった。最初と最後に軽く頬や額に触れることしかできなかった。
部屋には叔母の夫と、息子がいた。まだ小学5年生だ。小学5年生で母親を失うという悲しみは計り知れない。かける言葉が見当たらなかった。まともに見ることすらできなかった。


叔母とはお盆に会って話したばかりで、こんなことになるなんて思ってもみなかった。兄や母親はまだ息があるうちに一度会ったが、私の場合はいきなり遺体を見ることになったから、かなりショックが大きい。こうやって文章を書いているのも、冷静になるためというか、思考を外に書いておかないとダメになるような気がして。
思えば、中学の時に同級生が自殺した時もかなり時間をかけてその日のうちに日記を書いていた。私なりの心の落ち着け方というか、そういうことなのだろう。


ドラマみたいだと母親が言っていた。
本当にドラマみたいだった。まるで現実感がない。自分を客観的に見ているような感覚がある。


病院には、絶縁していた母親の兄も来ていた。見るのはかなり久しぶりだった。母親の兄は私の記憶よりも小さく見えた。少しして、私が大きくなったんだろうなと思った。母親もおそらくは久しぶりに会ったのだろうが、何も喋ってはいなかった。


一度家に帰ることになった。皆少しずつ落ち着いたようで、帰る頃にはある程度普通に話ができるようになっていた。苦しい瞬間も、ずっとは続かない。傷はだんだんと癒えていく。平気になってきている自分が、少し気持ち悪くもある。


その後は祖母の世話をしたり、普通に過ごした。祖母が家にいる生活も少しずつ馴染んできて、やることも分かるようになってきた。


叔母は一度警察に預けられ、今日の夜には戻ってくるとのことだった。それに伴って、明日と明後日に式をすることになった。

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