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「高齢化が進んだ島の末路」2023年8月11日の日記

今日は広島の祖父の住む家に行くべく、朝早くに家を出た。


昨日の夜は嫌なことを考えてしまってよく眠れなかったこともあり、車の中では寝ていた。頭が痛めだ。かなり渋滞していたようだったが、私は目を瞑っていたのであまり分からず。

途中のサービスエリアで生姜焼き定食を食べた。ご飯がおかわり自由だったので、おかわりをした。
カウンターに茶碗を持っていくと、その場で50代くらいのおばさんが白ご飯をついでくれる。一回、二回、三回としゃもじでついでくれた。二回目くらいで、「あっ、そのくらいで大丈夫です」と言おうとしたが、言えなかった。なので、お腹はパンパンになった。言えなかったからと言って、残すわけにはいけない。むしろ、言えなかったからこそ残してはいけないのだ。

その後はしばらく車を走らせ、いつもの場所でソフトクリームを買った。
いつも「しおなみソフト」というソフトクリームを買うだけなのだが、今回はミルク味も買ってみることにした。

家族も私もご当地のソフトクリームが好きなので、かなりご当地のソフトクリームは食べてきているが、結局ミルク味とかバニラ味のソフトクリームが1番美味しいんだよな。悲しい事実ではあるが、ミルク味に勝てる味はいまだに見つかっていない。
この「しおなみソフト」に関してはミルク味に匹敵するくらい美味しいので、ぜひしまなみ海道(大浜パーキングで売っています)に来る時には食べてみてください。


そんな感じで祖父の住む家に到着。


いつからか、祖父母に会うイベントは純粋な「楽しみ」というよりは「仕事」の感覚の方が近くなってしまったなと思う。
祖母に会ったら車椅子を押して移動を手伝う必要があって、上手く喋ることのできない祖母の言葉を理解するために必死で耳を傾けなければならない。祖父に会ったら買い物や事務的な手続き、祖父と母親の関係を取り持たなければならない。祖父に会えば毎回少なくないお小遣いをくれるが、そういう介護的な面の方が強くなってから、受け取るお金の意味も少し変わってきたような気がする。少なくとも私の中で、それは無邪気に喜んで貰うものではなく、どこか後ろめたさを含むものになってしまった。


いや、まあ貰うけど。


いやまあ貰うけど!


しばらくしたら叔父と叔母とその息子(従兄弟)も帰ってきて、少しだけ喋った。私は社交性が低いので、ほとんど周りが話しているのを聞くだけだったが.....。

従兄弟は小5になったらしい。この前まで赤ちゃんだったのにね.....。離乳食とか食べさせてたような気がする。

祖母の施設で面会があるらしく、母親と叔母だけがそちらに向かうことになった。他の人たちは家で過ごす。祖父に頼まれて裏庭の掃除などをした。


夜ご飯の時間になったのだが、母親と叔母がなかなか帰って来ず、酒も入った祖父の機嫌はだんだんと悪くなっていった。
元々叔母達はここで夜ご飯を食べずに、別のところで食べる予定だったのだが、祖父はそれをもう覚えておらず、さらに酒が入って強情になった祖父は叔父と従兄弟に対して食べろと「食べハラ」を繰り返し、ご飯が足りないではないか(そもそも食べない予定だったので、その分を買っていない)と、怒り出した。
こうなればなかなか手がつけられず、祖父の対処に奔走しているうちに2人が帰ってきた。

遅いぞと怒っている祖父をあしらう母親の感じも少し嫌だった。

その後、帰りが遅くなったのは叔母の悩みを母親が聞いてあげていたということが分かり、あの変に明るい振る舞いは叔母のためにやっていた面もあるのかなと思うと、誰も悪くないのに状況だけが悪化していく感じがして、人生嫌なことばっかりじゃん、という気持ちになった。


祖母は今施設で暮らしているが、祖父の住む家に戻りたいと言っているそうだ。
元々、祖母が施設で暮らすようになったのは、祖父とのトラブルが原因である。
私も詳しくは知らないのだが(母親はそういう話をしようとしない。なので、叔父の絶縁についても未だに何も知らない)、祖父が祖母に対して酷い行いをしたというのは事実だ。
そんな家に戻りたいということは、よっぽど施設での生活は辛いのだろうか。


高齢化が進んだこの島では、その高齢者の世話をするヘルパーが圧倒的に不足しているらしい。だから掃除も行き届いていないし、必要最低限のことしか手が回っていない。僅かな時間を使って色々としてくれてはいるようだが、祖母が帰ってくると負担もさらに増えるため、難しいらしい。
私はこの家に住んでおらず、年に数回帰ってくるだけで実態は何も分からない。祖父の話も全部信用できるわけでもないし。完全にブラックボックスになっており、こちらからはどうすることもできない。
でも、まあ、人手が足りないというのはそうなんだろうな。こんな田舎の島に若者がたくさんいるとは思えないし。
もうこの島に住む人たちはほとんど高齢者になってしまって、これからどう足掻こうと若者が増えることは無いんだろうな。
若者が減り、高齢者ばかりになった末路がこれだ。こういう現象がおそらく全国の田舎で起きていて、さらに言うと、これからの日本の姿でもある。


祖父は兄が現在も無職であることに対してよく思っていないようだった。「甘えているんじゃないか」という言葉も出てきて、「おお、実際にそういう言葉が聞けるとは」と少し感動した。まあ、これは年齢を考えると仕方ないことなのかもな。私は絶対に許さないが。
そもそも、兄は自分の貯金で生活していて、親から何か助けを貰っているわけでは全くない(まあ、親から助けてもらっていても別に良いじゃないかと私なんかは思ってしまうが)。

私としては珍しく、かなり不快な気持ちになってしまって、その場を立ち去ろうとも思ったのだが、一応大人しく座っていることにした。大抵は兄か母親が我慢できずに口を挟むので、私はそのカバーをする、みたいな役割だったんだけど、その2人がいないと私も全然我慢できなかった。


今日の日記はいつにも増して私の親戚事情を詳しく書いた。いつもは意識的にぼかして書こうとしているのだが、最近はもう書いちゃえ!となっている気がする。
まあ、こういう家族の深い部分については他の人と喋る時にはあまり出て来ないことだし、外からはなかなか見えづらいことなので、こういった場で書いていくことは割と有益なんじゃないかと私は思っている。加えて、私自身他の家族の問題について知ってみたいというのがある。なのでこれからも正直に書いていくぜ。結構悪く書かれている祖父とかには申し訳ないがね。みんなも正直に書いてくれ。あ、いや、円満であることをただただ願っていますが。円満ならばその円満の風景を私に見せてくれ。

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