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「俯瞰しろ!」2023年10月25日の日記

昨日から見ていた「サマータイムレンダ」を17話まで見た。もう17話か、早いな。
順当に面白くて、タイムリープという概念の面白さを再認識した。
タイムリープよりさらに非現実的な影という存在によって、リアリティーが薄くなっているのだが、心理描写が結構リアルなのでしっかり見れる。「俯瞰しろ!」だけはどうしても笑ってしまうが。何話かで、「俯瞰しろ!今俯瞰しないでいつ俯瞰するんだ!?」というセリフが出てきたのは特に面白かった。
あと、タイムリープは同じことを繰り返すことがほとんどであるため、作画コストを大幅に削減できるというメリットがあることに気がついた。タイムリープものは回想シーンも多いし、場面の使い回しが容易にできて作り手からしても良いな。

どうやら時を戻すのはある程度限界があるらしく、前回戻った地点よりも先の時間にしか戻れないみたいだ。これによって容易に失敗できない緊迫感がある。シュタインズゲートのように、無限にループさせて試行回数を増やすやり方は通用しない。
記憶を保持したままループできる人間が3人もいるという点も新しい。しかもそのうちの1人は敵にいるということで、このあたりが物語をややこしくしていて面白い。


午前中に電話をしなければいけない用事があり、電話をかけた。電話をするのはかなり嫌なので、あらかじめ紙に書いてから言うようにしている。

昼に焼きそばを作って食べた。


昨日から眠気が取れなくて、昼を食べた後は2時間くらい寝てしまっていた。昨日もかなり早くに寝たはずなのだが、徹夜したのが響いているんだろうか。


午後には電話がかかってきた。大学の奨学金係ということで、何事かと思ったが、どうやら「奨学金の説明会に出席しなければいけないのにあなたはしていない、金曜日に予備日として設定されている説明会に参加しなければいけない」ということだった。はて。
大学に在学している学生だけが見れるサイトがあるのだが、そこには何回も説明会の日にちを掲示していたらしいのだが、もう4回生にもなるとそこは一切見ておらず、見逃してしまっていたらしい。大学のメールとかはちゃんと確認してるのだけれど。

最近はこういう細々としたミスが多い気がする。




私の悪い癖として、「傍観者癖」というものがある。これは、自分のことであってもどこか他人事というか、自分の人生を自分のことのようにうまく捉えることができないというものだ。周りに流されやすいとか、自分の意見をはっきりと持っていないとか、私のそういう一面はこの「傍観者癖」に集約されると思う。サマータイムレンダ風に言うならば、「俯瞰癖」といってもいい。

この癖をはっきりと自覚したのは高校生の文化祭の時だった。

文化祭では、これまで関わってこなかったコミュニティーの人たちが混じり合い、協力し合うイベントが発生する。これまでクラスメイトという繋がりだけで同じ空間に存在していただけの人たちが、同じ目的のために対話している光景は、私にとってかけがえなく、尊いものだった。けれど、その輪の中に私は含まれていなかった。それでも、私は確かに嬉しかった。

卒業式の日も同じようなことを思った。
1人の発言で皆が笑って、それぞれ独立していたコミュニティーが一つにまとまった気がした。会話の方向が同じ方に向いていて、私は嬉しかった。一方で、自分だけは独立しているような、置いて行かれているような感覚もあった。

私は全体のバランスを見る能力に長けている自覚があるが、それによって自分自身が犠牲になる場合が多い。しかし、無視はできない。昔、私は優しいのではなく責任感が強いだけである(目の前の人を助けるのは優しいからではなく、それを放っておく方が気持ちが悪いからである)と思っていたが、どうやらそれも違って、私は結構優しい人間だ。そして、優しいと自分で言う人間の言うことは信じない方がいい。

自意識を解放していると言葉がどんどんと漏れ出てくる感覚がある。そうなると、話はどんどんと違う方向へ行く。今も、何を書こうとしていたのか全く分からなくなってしまっている。ただ文字数を稼ぐために何か書こうと思って書き始めた俯瞰癖が、もうどこかに行っている。俯瞰癖?なんだそれは。そんなものあるかい。ただ自己肯定感が低くて自意識が強いだけだ、私は。

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