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「PLAN75における死と自然の美しさ」2023年5月19日の日記

起きたら10時半で眠気が取れておらず、かなりよくない朝だった。

雨が降っていたので外に出る気力も起こらず、ダラダラと過ごしてしまっていた。


午前中はギターを弾いていた。雨だと近所迷惑をあまり考えないで済むので良い。

昼に唐揚げを作るなどして気分を変えた。


スマートフォンの月通信量を見てみたら、今月はもう2.6Gを使用していて、残りのギガがもうほとんど無くなっていた。私は月3Gしか使えないプランを使っている(これを言ったら大抵の人に信じられないという顔をされます)ので、淡路島の時にあんまり使えなくなっちゃうな。旅先で情報が遮断されるのはかなり不安だが、まあなんとかなるかぁ〜の気持ちで行こう。


「PLAN75」という映画を見た。
見ていて本当に憂鬱になって、見るのがかなり辛い映画だった。
75歳以上の人は死ぬ権利が与えられるという設定だったが、街には広告が溢れ、むしろ死ぬことを推奨されるような描かれ方をしていた。実際、死ぬ権利が与えられて死ぬ人が出てくると、徐々に死ぬことを選んでいない人たちの肩身が狭くなっていくなんてことはありえるだろう。
設定も含めてかなりリアルに描かれていて、だからこそ身に詰まる辛さがあった。ドキュメンタリーを見ているような感じもあった。

切った爪を植木鉢に入れる場面があったが、何か肥料的な効果があるのかな。おばあちゃんの知恵的なやつか?私は全く知らなかったからかなり驚いた。
人の手と木の枝が重なるようなカットもあったので、輪廻転生的なイメージも含まれているのかも。

炊き出しを行うことでホームレスを呼び込み、そこで「PLAN75」の宣伝を行うような描写があって、かなり恐ろしかった。餌をまいて死ぬ人間を集めているようなものだが、炊き出しという行為自体は責められることではなく、本当にあり得そうな未来だと思って見ていた。嫌〜な感じ。

ボーリングをする場面では初めて若者との交流が描かれていて、ずっと重たい雰囲気だったのが少し和らいだと思ったのだが、そのあとは手のひらを返すように一層暗い映像と音楽になって、思わず笑ってしまった。そこまで徹底してやるか、と。

物語自体はずっと重苦しい雰囲気が続いていたのだが、自然の美しさや日常の美しさを を描いているカットも多かったように思う。
個人的には、トンネルの中の光のカットや、ワイパーが雪を払っているカットが好きだった。日常の中でなんとなく美しいと感じる部分が映画の中に入り込んでいて、映像を作った人の「目」を少し借りれたような感覚があった。
最後の場面なんてめちゃくちゃ綺麗だ。やっぱり死を意識した瞬間、自然がいつもより美しく見えるなんてことがあるんだろうな。

最後は結局死を選ばないという終わり方だったが、だからハッピーエンドというわけでもない。生きていく彼女の先には孤独が待っているし、貧困が待っている。けれど、生きようと思った後に見たあの朝日の美しさだけはきっと本物なのだと思う。


夜の11時になり、眠くなってきたのだが、今日たくさん寝たのに眠くなっているの悔しいと思い、少し歩くことにした。

長靴の置いてある公園を発見。ベンチに寝転んでみたりしたが、眠れそうにはなかった。

よく分からないジュースを購入。
「未知の味」と書かれていたから買ってみたが、普通にCCレモンの味だった。
一口飲んだ瞬間にしゃっくりが出始めてしまい、誰もいない夜道にしゃっくりが響いた。

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