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「本好きを自覚した瞬間に生じるジレンマ」2023年6月22日の日記

最近、メルカリで登山用のリュックや1人用のテントをよく探しているのだが、無限に出てくるので、無限に時間が過ぎていく。色々とこれも良いなとか考えているうちに時間が過ぎていって、「これが買い物の楽しさか!」と改めて気付いた。買い物はあまり好きではないが、こういう楽しさがあるのね〜。


次のゼミで扱う作品が村上春樹の「午後の最後の芝生」という短編小説だったので読んでみたが、よく分からなかった。村上春樹っぽさが全開だったのだが、最終的にどういう話なのかがよく分からなくて、主題もいまいちよく分からない。まだ一回読んだだけなのでなんとも言えないが、あんまり合わなさそう。


自分が本を好きだと自覚するようになってから、名作を履修のような感覚で読むようになってしまった。もしかしたら、偶然手に取って、自分の人生の中で大切な一作として残る可能性のあったものを、義務のような感覚で手に取って、とりあえず読んだことにして、自分なりの感想を持って、知人にすすめたりする。名作だから読んでみてよ、といった具合に。なんという愚かしさだろう。結局のところ、偶然目に映って、偶然手に取って読んだ本でないと、本当の感想を持つことなどできないのだと思う。賞を受賞していたからとか、誰かが評価していたからとか、そういった理由で本を手に取ることが多くなってしまったけれど、やはり偶然性が大事だと私は思う。面白くない本を何冊も、本当に何冊も読んだ後にこそ、本当に面白い本の面白さが分かるような気がするし、そのときに感じたものこそが本当の輝きを持っているのだと思う。


夕方頃、下に住む祖母が手紙を届けに二階に上がってきたついでに色々と話した。
祖母はもう86歳になり、表面上はまだまだ元気そうだが、やはり体の老いは常々感じているらしく、朝や夕方は足がむくんで痺れてくるそうだ。
歳を取ると、何もしていなくても体がダルくなるし、周りは皆呆けたり死んでいったりする。祖母の周りもどんどんと亡くなっているそうで、そういう話を聞いていると長く生きていても仕方ないなと思う。祖母も「長く生きてもねぇ.....」ということを数年前から言っている。
実際、今の医療技術だと痛みを感じずにぽっくり死ぬみたいなことって多分あんまり無くて、なんだかんだ入院して徐々に衰退していくみたいなパターンが多い気がするけど、そういう終わり方ってどうなの?というのはずっと思っている。


明日は広島に住む祖父母のところへ行く。
祖父母の家にはWi-Fiが無いので、日記の更新はおそらく明後日となる。

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