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「ロボとーちゃんとフライドポテト」2023年3月10日の日記

一昨日から弟に貰った口内炎の薬を塗り続けたおかげで、今日の朝にはほとんど完璧に治っていた。歯の痛みも完全に無くなり、健康体だ。

弟から貰った薬は牧場の味がした。

「牧場の味がした」と弟に言ったら、「牧場を食べたことがあるのか」と言われたが、「いや、そういうことじゃあないんだよな」と思った。

ちゃんと具体的に言うと、「牧場に行った時に感じる牛のフンの臭いと草の臭いが混じったような臭いが口を通して鼻に抜けていった」ということになるのだろうけど、わたしからすればそれはもう「牧場の味」なのだ。鼻と口は繋がっているから、臭いを感じる時に少なからず口にも刺激が行っているはずだから、「牧場の味」というのはあながち間違っていないような気もしている。


口内炎とかの話してるの、書くことがないからなんですけど、もしかしてバレてます?


今日は特に予定もなく、何もしない日と決めていたのだが、少しだけ何かはした。でも基本的には家でダラダラと過ごした。

昼に昨日の残りを食べた。


昨日から姉がどうしてもケンタッキーが食べたいと言っており、今日の夜はケンタッキーを食べることになった。
母親と近くのイオンまで行き、ケンタッキーを買った。

ケンタッキー、言うほど美味しいかと毎回思ってしまう。いや、もちろん美味しいんだけど、みんなが言うほどかなぁというのもちょっと思う。一人暮らしとかしたら多分ケンタッキーにわざわざ行こうとはならないんじゃないかな。

これ家族に言うと「じゃあお前は食べるな」と家を追い出されそうなので言わないんだけどね。

家に帰ってポテトなんかも揚げちゃったりして。このポテト、めちゃくちゃ美味しかった。冷凍のやつを揚げただけなんだけど、どの店のポテトよりも美味しくて、もうこれでいいじゃんと思った。値段を聞くとマクドナルドのポテトLが5人前くらい入ってて198円らしい。揚げる手間があるとはいえ、これでいいじゃんってなっちゃう美味しさだな。


映画を見ながら食べることになり、全員が楽しめそうな映画を相談した結果「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」を見ることにした。


以下は感想とネタバレ。



基本は家族で見られるようなギャグの連続で、ふざけた感じの映画なのだが、扱っている題材というのはかなり奥が深いもので、考えさせる部分とギャグのバランス感覚が上手いなと思った。
やりようによってはもっと重い展開にもできたとは思うが、ちゃんとギャグに徹していたというか、シリアスになりそうな展開の中でもできるだけギャグになるように調節しようとする意図を感じた。
そして最後はしっかりと泣けるように作っていて、無駄がない。

ロボとーちゃんになった後、家に帰るまでずっとひろしの主観で映像が進んでいって、これは「大人帝国」のしんのすけがタワーを登る名シーンにどことなく似ているなと思いながら見ていたのだけど、しんのすけとの別れのシーンでも主観になっていて、ここがめちゃくちゃ良かったな。

腕相撲のシーン、しんのすけは機械の父親と生身の父親の両方を応援したのに対し、みさえはおそらく生身の父親を応援している。みさえが応援の声を出した瞬間、ロボとーちゃんは何かを悟ったような表情をして、負ける。
あの時、ロボとーちゃんは何を考えたのだろう。所詮は機械の体で、この先に自分の居場所がないことを悟ったのだろうか。それとも、機械の体である自分に真摯に向き合っている生身の自分に家族を託すような気持ちになったのだろうか。

ロボとーちゃん側にはしんのすけとの思い出もあって、自我もあるから、あの最期はロボとーちゃんからすればれっきとした「死」なんだよな。そう考えるとこの話は物凄く残酷なことをしれっとやっている。
平穏な家族との時間が流れる隙間にも、私はしんのすけの大きくなった姿を見れないままに死んでしまったロボとーちゃんのことを考えてしまった。そして、多分そう考えさせるような作り方をしていたと思う。

機械に求められているのは愛情でも絆でも無くて、あくまで人間のために何かをするという役割でしかない。
ロボとーちゃんは家のことを全て完璧にこなすことによって人間に認められ、家に居場所を作ることができたが、結局それは本物には敵わない。
ロボとーちゃんは結局のところ、家族との絆を再確認させるための道具でしか無かったのだろうか。これは穿った見方なのかもしれないけれど、そんなことも考えた。

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