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「無償の愛を意識する」2023年1月2日の日記

兄にテザリングしてもらっているので、日記を投稿できそうだ。ので、書くぜ。

今日から1泊2日で祖父が住んでいる広島の家に行く。

朝はゆっくりした。下に住む祖母が作ったという餅を食べた。ちゃんとついている餅らしく、売っている餅とは全然違って美味しい。

そういえば、昨日昼寝しているときに夢を見たのだった。
夢の内容は、ミツバチに襲われるというものだった。
耳元で大量のミツバチの羽音が鳴り、うわっとなって、のけぞるような身体の動きで起きた。私はこういう夢を割とよく見る。

ぼちぼちと準備をして出発。

車の中では「ドラえもんの道具が実現したらどうなるか」みたいな本を読んでいて、どこでもドアが実現したら兵器としてめちゃくちゃ脅威になる(銃を持っている奴が急に首相の前に現れたりする)という話を家族でした。
兄が「そうなったら天井低くして沸き潰し(マイクラみたいに)して対策するんちゃう?」と言っていて面白かった。
マインクラフトを知っている私と弟だけが笑っていたが。
低い天井の部屋で腰をかがめながら会議したりするんだろうか。

途中のサービスエリアで弟が靴を擦りながら歩いているのを見て、母親が「靴がちびる(広島の方言で、すり減るや小さくなるなどの意味)から止めなさい」と言っていた。それを聞いた兄が「ちびるっておしっこ以外でも使うな」と全く関係ないことを言っていたのが面白かった。たしかに、と納得している自分もいて面白い。

昼ご飯を食べるために寄ったサービスエリアは酷い臭いがした。車を降りた瞬間に下水のような臭いがふぁっと漂い、臭いの原因は何かと辺りを探った。
近くにスタバがあったので、「aじゃなくてeなんじゃない?」とボケた。
(スタバ staba→捨て場 stebaという意味。しょうもないね。 )
この説明不足のボケで弟と兄に伝わるのだから凄いと思ってしまう。たまに、絶対伝わらないだろうなと思ってボケたのが伝わることがあり、驚く。伝わらずに説明するのを含めてのボケだったのに、普通に伝わってツッコまれることがある。

唐揚げ定食を頼んだ。美味い!


なんやかんやで祖父が住んでいる家に着いた。

祖父は寝ているようだったので、使っていない2階に上がり、少しゆっくりとする。
祖父が起きた雰囲気を感じとって1階に降りると、この前見た時とさほど変わらない祖父の姿があった。
祖父は弟に「随分大きくなったなあ!」と言っていた。弟は去年からさほど身長に変わりはないはずだが、弟が夏に祖父と会っていないからかもしれない。
大音量で流れるテレビは画面を支える根本の部分が壊れているのか、項垂れているかのように首が曲がっていた。

母と姉と私で近くのスーパー(と言っても車で5分くらいはかかる)まで買い物に行く。飲み物や明日の朝ごはんなどを買った。

帰宅する途中、夕日が綺麗だったので車を止めてもらい、写真を撮った。船がいい感じに映っている。

そのあと、少し山を登ってもう1枚撮った。夕日が沈みかけていたので完璧ではない。もう少し早めに来たらもっといい感じに撮れたんだろうな。
この写真だけ少し加工している。


祖父は私が中学生くらいの頃からまともに会話できているのかが怪しく、耳が遠いのに補聴器は嫌がってつけないため、会話がうまく続かなかったり、前会った時のことをあんまり覚えていなかったりする。未だに私と弟を間違えたりするし(当たる確率は2分の1のはずだが、不思議と間違われる確率の方が高い)、祖父の中では未だに私はサッカー選手を夢見ていて、会うたびにプロにはなれそうかと聞いてくる。そう考えると祖父はあまり変わっていないとも言える。

私の母親の兄(私からみると叔父にあたる)は完全にこの家から縁を切っており、祖父母の世話は基本的に私の母親と、母親の妹でおこなっている。
母親の兄は縁を切る際に祖父母の家の玄関に置いてある綺麗なアメジストを持っていっている。持っていっているというか、これはほとんど盗みに近い。
私はこのアメジストを眺めるのが好きで、玄関のドアを開けて帰ってくるたびに綺麗だと思っていたから、もう見れないのだと思うと酷く悲しい気持ちになる。
祖父母は未だに縁を切られたことを自覚しておらず、私の母親にたびたび訊ねては私の母親に「知らない」と突っぱねられている。
これだけ色々と私の母親が世話をしているのに、祖父母は母親の兄のことを気にかけているらしく、遺産相続なども綺麗に等しく分配されるだろう。決して遺産をたくさん貰って欲しいとかそういうことではなく、何らかの形で母親が報われてもいいじゃないかと思う。
「無償の愛」と書けば良い響きなのかもしれないが、こんな形で成立する無償の愛なんてものは私は認めたくないなと思う。

祖父は昔から祖母にキツく当たることが多かった。足の悪い祖母を急かしたり、怒鳴ったりすることも多くあった。
けれど、そんな祖父も私たち孫にはやたらと甘かった。祖父に怒られた記憶は一切なく、何をしても祖父は笑顔で接してくれた。

あの家に行くと、「無償の愛」をまじまじと感じる。私は何もしていないのに、顔を見せただけで大層喜ばれ、感謝される。
あれだけ祖母に怒鳴っていた祖父が、なぜか孫だというだけで全てを肯定される。
祖母は祖父にあれだけ怒鳴られたりしていても、祖父のことはそれなりに気にかけているようで、施設で過ごしている間も祖父のことを心配している。
逆に祖父は祖母のことをそれなりに気にかけているようで、1人だと寂しいということを言っていた。
そんな2人を見ていると不思議なものだなといつも思う。人間というのは複雑だ。その複雑さが時に魅力的で、愛おしいのかもしれないけれど、私からすれば不思議で仕方ない。

ご飯を食べ終え、祖父は早くも寝る段階に入ったので、2階で過ごす。
コーヒーを入れてお菓子などを食べながら家族で談笑。楽しい。
猫の鳴き声がしたので外に出てみたのだが、いなかった。


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