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「テンションってあげてけ」2023年9月28日の日記

午後になってようやく一昨日の日記を投稿した。このまま投稿せずに終わってしまうところだった。結構めんどくさいなという気持ちが強く、しばらく放置していたのだが、やっぱり続けるかーと思って無理やり書いた。危なかった。
でも、こうした小さなめんどくさいで書かないようになっていくのかもしれないなとふと思う。死ぬまで日記を書き続けている自分はあまり想像できないし、そもそも老いでそれどころではなくなるかも知れない。

いつ日記を書かなくなるのだろうと思う。私は小学6年生から日記を始めた。紙のノートに書いているときは、それこそ3行とかの日もあったけれど、ちゃんと毎日の分書き続けた。使命のような感覚だった。今は、使命のような感覚は抜けて、ただ記録しておきたいという欲求の方が強い。欲求は、使命よりも強制力がない。欲求が無くなった途端、簡単にやめてしまうだろう。

京都一周トレイルから帰ってきて荷物を整理していると、持っていっていたライトを無くしていることに気がついた。
自転車用のライトで、4000円くらいしたものだ。明るさも強く、充電式でかなり気に入っていたからショックだ。いまだにカバンの中身を漁って奇跡を信じているが、明確にあそこで無くしたなというタイミングがあるので、完全に無くしたのだろう。悲し。

まあでも、4000円を川に捨てたと思ったら耐えれるか。無理か。無理だ。いまだにショックだ。


午後にとても嬉しい知らせが入った。大学のイベントでとある作家が来るのだが、その作家が私の好きな作家だったのだ。さらに、申し込みで何十人かはイベントの後に直接話せるという。参加権は熱意がより伝わった方に優先されるということで、それなりの文章を書いて送ったら3時間後にはもう参加権が得られていた。まだ応募していない参加者もいるはずなのだが。熱意が伝わりすぎたってことか?
いずれにせよ、生で好きな作家と話せるチャンスがゲットできたというのはかなり嬉しい。
作家名を書いちゃうと確実に大学がバレてしまうので今は書かないが、多分イベントの当日にはしれっと書くと思う。どうせもう卒業してしまうし、別に構わないだろう。この辺りの感覚はnoteを始めたての頃よりも基準がかなり緩くなっている。

卒論もあるが、その作家の作品をもう一回ちゃんと読み返そうかなと思ってる。というか、読み返したら絶対に日記に書くし、その時にはもうバレてしまうな。ええか、しゃーないしゃーない、もうあきまへんわ。



なんで急に関西弁?


月が綺麗だったと父親が言うのでベランダに出てみると、月は見えなかった。ベランダの方向からは見えないらしい。仕方なく、卵で月を作った。姉はすでについでいて、肉と卵は中央で半分に分かれていた。半月だと姉が言った。なんでもアリだな。

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