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「アニポケ最終回」2023年3月25日の日記


しばらく前に何気なく書いたものを投稿しました。良ければ。

もうちょっとちゃんとした小説を書いてみようかという気概がある。思いつきの案はいくつかあって、部分部分も書いているのだけど、なかなか1つにならないというか、完成しないまま次の話を書いていたりしている。もう少し色々落ち着いたら短編をいくつか書いてみるつもりだが、どうなることやら。


午前中は又吉直樹「月と散文」をずっと読んでいて、早速読み終わった。

優しい配達員が去った後、ほぼ下着のような姿で少しだけドアを開けて肉うどんを部屋に入れる自分が、獣のように感じられた。

p207

この情けない感じがめちゃくちゃ好きだな。
又吉直樹の文章は、「情けなさ」とか「恥」とかが小説においてもエッセイにおいても核になってきていると思うが、読んでいると凄く安心感がある。

エッセイを読んでいると、エッセイを書きたくなるのだが、まだ経験とかが全然ないのであんまり面白くないよなとも思っている。おじさんになってからのエッセイの方が面白いことは確かだし、歳をとればとるほど面白くなると思っている。
でも今のうちに書けるものもあると思うので、いくつか書いてみてまた気が向けば投稿してみようと思う。


アニポケの最終回を見た。

アニポケはベストウィッシュの途中からほとんど見なくなっていたのだけど、サトシが出てくるのは最後ということで見たが、早速OPで泣きそうになった。

チャンピオンになって故郷のマサラタウンに帰ってきて、仲間たちと別れて母親に会い、のどかな時間を過ごすサトシだが、どこか喪失感のようなものを感じているようにも見えた。

ポケモンマスターというのが、ポケモンリーグでチャンピオンになるというわけではなく、曖昧だったようで驚いた。どうやらサトシ自身の中でも定義は無かったらしく、「ポケモンマスターに近付くには、世界中のポケモン全てと友達になる必要がある」と思ってまた旅に出るという流れだった。
なんというか、サトシの無邪気さが少しだけ恐ろしく感じたな。彼は生粋の旅人らしい。じっとしていられないんだろうな。

10歳のサトシと今の私自身を比較したときに、私とサトシとの間にはもうとっくに戻らない差ができているような気がした。

本当は私だってサトシみたいなポケモントレーナーになりたかった。昔はポケモンが実際にいると本気で思っていたし、いつかポケモントレーナーになれると思っていた。けれど、いつしか私にとってポケモンはフィクションの中の世界になっていたし、サトシのようなポケモントレーナーにはなれずに大人になってしまった。

初めてポケモンのゲームをプレイした時は、本当に自分がポケモントレーナーになった気分だった。初めて揃えた6匹の手持ちで四天王に何度も挑戦し、勝った時には本当に嬉しかった。けれど、次第に強いポケモンばかりを追い求めるようになっていき、挙げ句の果てにはタマゴを大量に孵化させて個体値の良いものだけど厳選するという、非道徳的な技さえ覚えてしまった。

どこで間違ってしまったんだろうという気持ちにすらなってしまう。これはポケモンが悪いわけではなくて、私がポケモンを好きすぎるがあまりに、ポケモントレーナーになれない自分が少しだけ嫌になるというだけの話です。

涙を流しながらカレーを食べた。辛くはなかった。

Fantiaみたいなお菓子。

夜にキングオブコントの会を見た。
空気階段の写真のコントとバイきんぐの罰ゲームのコントがめちゃくちゃ面白かったな。


やろうとしていたことは何もできていないのに、夜に散歩に出かける。逃げるようにして出た外は薄暗くて、少し寒かった。
曲を聴きながら暗い夜道を歩いていると、ちゃんと1人になれるなと思う。

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