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「夜桜と聲の形」2023年3月30日の日記

朝から大学に行って色々と雑務をこなした。

家にパソコンがないので(正確に言えば一台あるが、ほとんど使っていない上に重すぎるという欠点がある)、パソコンを使うためというのが1番の理由だ。


ある企業では1次選考としてグループディスカッションがあったので、それを受けた。
グループディスカッションをするのは初めてだったのでどんな感じか全く分からないまま参加した。

実はちょうど同じ時間帯に説明会の予約をしていたのをすっかり忘れており、仕方なくスマートフォンで参加だけした。
私はこういう情けない人間です。

50分のうち30分程度グループディスカッションの機会があり、私が司会をやることになってしまった。だって誰もやろうとしなかったから.....。まあその分発言とかはできたのでそれが評価されるのかどうか.....。
企業のこととかをあまり調べずに参加したので、知識不足感は否めなかったが、なんとか誤魔化しながら話を進めていった。というか、知識不足と意見不足を感じていたから司会に立候補したという側面はある。司会をしなかったら本当に言う事なかったからね。
私は案を何も思いつかず、ほとんど出さなかったのだが、他の人からかなり良い案がいくつか出てきたので、「めっちゃいいっすね!」とずっと言ってる人になっていた。これ、結構本心で言ってたのだが、面接官には過剰な肯定だと思われる可能性があるな。


雑務も終わり、大学のコンビニに寄って昼を食べる。

見事に割引ばかりの商品を購入した。食品ロスに貢献できて安く買えるのって最高ではないかね。

大学はまだ春休みなので、人も少なく、きている人の種類もどことなく違う。職員の人が多かったり、一般の人も結構いる。70代くらいの人が結構いて、違いが見れて面白い。コンビニで割引されている商品が多かったのも、おそらく春休みで人が少ないからだろう。


後は特に予定もなかったので、大学の図書館で過ごした。それなりの交通費を払っているので、そのまま帰るのはもったいない気がしたのでね。

この前読みかけていた武田砂鉄「別に怒ってない」を読破した。共感することとかもたくさんあり、面白かった。


家に帰り、夜ご飯の前に散歩に行く。

夜の桜が綺麗だった。昼の桜よりもあるいは綺麗かもしれない。


夜に「聲の形」を家族で見た。

この作品は本当に大好きな作品で、もう何度も何度も見ているのだけど、少し期間を空けてから見るとまた印象が変わっていた。
これまでは割と個人個人にフォーカスして作品を見ていたのだが、今回は割と広い範囲で見れたような気がする。

例えば、彼らの小学校時代だが、明らかに教育機関が上手く機能していないせいでいじめが起きているんだよな。
将也の家庭はシングルマザーで、将也の部屋が屋根裏にあることからも明らかな貧困層の家庭だ。学習机もまともになくて、親の教育が満足に行き届いていないのは確かだ。けれど、それをカバーするのが公教育の役割のはずだ。
将也が西宮の耳元で大きな声を出す場面があったが、その「悪戯」に対して担任の教師は軽い注意程度にとどめている。本来なら、もっと叱るべきなのだ。子どもに、その行為は絶対にしてはいけないということを分からせるべきなのだ。
結局将也は、自分の母親が銀行から多額のお金を引き出し、西宮の親に渡している場面を見ることによってようやく自分の罪を自覚する。そこに至るまで、誰も将也に教えてあげられなかったのだ。
さらにいうと、西宮へのいじめが発覚した場面だが、普通はクラスの前であんなに堂々と公表しないし、露骨に犯人探しなんてしない。そのせいで第二の被害者が生まれる形になっている。
そして、西宮の母親も硝子に対して向き合っていないように感じる。西宮の母親が手話を使うシーンは描かれていないし、ゆづるに対して「将也と付き合うのはやめておけ、硝子にも言っといて」というセリフがあったように、直接コミュニケーションを取れていない。そもそも、普通の学校に耳がほとんど聞こえない生徒を入れるのかという点からも疑問だ。

これまでは、最後の場面に対して、結局なあなあで終わっているなという印象だったが、今回は少し違う印象を受けた。

"劇的に人は変わらなくて、弱みもトラウマもまだ引きずったままだけど、でも、それで良いじゃん。「ま、それがあんたか」と植野が西宮に言ったように、そのままでも、弱いままでも、まあ、別に良いじゃん。生きていればそれで良いじゃん。"
この作品はそんな普遍的なことを言っているような気がする。


今日はたくさん書いた!

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