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「住んでいた家に戻る祖母」2023年9月22日の日記

今日から3日間、祖父の住む家で祖父母と過ごす。とりあえず予定のない私と母親で広島へ向かい、仕事のある姉は明日合流する予定だ。本来なら無職の兄も参加する予定だったのだが、体調が悪いらしく不参加だ。力系の仕事をできるのは私だけとなってしまった。

途中で寄ったサービスエリアで買ったパン。
栗がたくさん入ったものと、半熟卵が入ったカレーパンだ。どちらも美味しかった。


車では千葉雅也「勉強の哲学」を読んでいた。
「勉強とは喪失である」という入りから始まり、なかなか面白そうだと思って読み始めた。
一般的に「勉強」が持っているイメージを覆す形で論じられていくのだが、筆者の述べている「勉強」というのが何を指しているのかイマイチしっくりこなかった。単に教科書を読んだり参考書を読むことなのか、はたまた研究のことなのか、その辺りが曖昧でしばらくむむ、と思いながら読み進めた。
半分くらい読んでようやく「勉強」がどういうことか分かっていくのだが、私にとっては新しい発見というよりは、日頃割とやっていることを綺麗に言語化してくれた感じだった。


一度祖父の住む家へ行ってから祖母の住む施設に行くことに。

屋根の上に猫がいた。


祖父は前あった時と比べて少し痩せているようだった。足が痛いと言うので見てみると、パンパンに腫れていた。母親に聞くと、薬を飲んでいないらしい。昔から薬を絶対に飲まず、入院していた時でさえ飲もうとしなかったらしい。まったく頑固な人だ。
ついでに買い物に行って欲しいらしく、自分の財布の中を漁りながら「一万円がないのう、んー、五千円しかないわい。そうじゃ、お小遣いやろう!」という感じでその五千円を私にくれた。渡し方富豪じゃん。


荷物を置いて祖母の暮らす施設に向かう。
祖母は変わらない様子だった。そのまま島を出て大きな病院へ向かう。


病院で待っている間、高瀬隼子「水たまりで息をする」を読んでいた。
一度読んだことがあり、面白かったので本を購入していたのを今回持ってきたのだ。この小説を読むのは今回で2回目となる。

風呂に入らず、臭くなっていく夫の横で寝転びながら、昔飼っていた犬を思い出す描写がある。その場面が1番好きだ。
夫を犬に喩えた上で、「犬だって滅多に風呂に入らない。入らないけど、くさくたって、抱きしめていい」と述べるのだが、人を犬に喩えてこれだけ愛情が伝わるものかと驚く。
ここだけを見ると、夫婦の愛情を描いた話のように思えるが、そこを押し出して描いていないところがこの小説の面白いところだ。この夫婦は別々に食事を摂ることも多いし、特別仲が良いわけでもない。別々の生活の中に2人の生活が混じっており、その2人の距離感が素晴らしい。


祖母は前回見てもらった時と変わらない様子で、とりあえずこのままということだった。

病院から出て祖父の住む家に向かっている途中、強烈な眠気が襲ってきた。助手席だし寝るわけにはいかないと思いながら、意識がギリギリの状態だった。
それにしても母親は元気だな。昨日は私よりも遅く寝ていたし、早く起きていたし、運転までしているのに私よりも元気だ。
私も雑魚ってわけではない(むしろ強い方だと思っている)と思うのだが、母親とはエネルギー総量が全然違う感じがする。

急にお腹が空いてきたので、マクドナルドでハンバーガーを買って食べた。美味い。

月見パイを母親が買っていたので一口貰った。餅とつぶあんが入っていたが、普通のアップルパイのやつの方が美味しかった。一口目、パイと餅の部分だけを食べてしまい、何の味もしなかってウケた。


祖父の住む家に帰ってきたのは夕方の6時頃だった。
今日は祖母と家に帰ってゆっくりすると思っていたのだが、思いの外色々とやることがあって疲れてしまった。家に着いてからもそれなりに気をまわすことも多く、精神的にも疲れた。いつもよりも早めに寝ることにする。




祖父が大きい声を出す時、私の母親に偉そうに命令する時、祖母に悪口を言う時、私は祖父の死をうっすらと願っている。祖父は数年前に倒れて生死を彷徨うほど危ない状態に陥ったが、今考えるとその時に死んだ方が幸せだったんじゃないかと、叔母が亡くなった次の夜に兄と車の中で話したことがある。皆からうっすらと死を願われている今の祖父の状態は果たして幸せなのかと、考えざるを得ない。

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