「流浪の月と家計簿」2024年6月1日の日記

突然ですが皆さんは家計簿ってつけてますか?私はつけていません。貯金が今いくらあるのか、パッと分かりません。貯金に関しては通帳を見れば分かるかとお思いでしょうが、私は通帳に入れているお金の他にも、財布に入っている現金、寮の金庫に入れてある現金、実家の引き出しに入れてある現金などバラバラに配置されているため、正確な貯金というのが全く分からない状態なのです。先月いくら使ったのかに関しては全く分かりません。なぜならば、記録をしていないからです。現金で払うこともあれば、クレジットカードで支払うこともあれば、PayPayで払うこともあれば(最近はチャージがめんどくさくて使っていません)携帯の料金とセットで払う場合もあります。もう手に追えません。しかし、私は今月から家計簿というものをつけていくことにします。なぜならば、流石に怖くなってきてしまったからです。本格的に働きだして、寮暮らしを始めて、流石にこれじゃあまずいのではないかと、ようやくその意識が芽生え始めたのです。幸い、私は毎日日記を書く生活を3年間も続けるだけのマメさがありますし、一度家計簿をつけ始めたらおそらく続くのでしょう。しかし、私には危惧していることがあります。今よりもケチになってしまう可能性があるということです。正確には、消費することによる罪悪感というか、消費による幸福が浪費したのではないかという罪悪感を上回ってくれない、という私の性質がさらに拡大することになるのではないかという不安です。

今月から家計簿をつけ始めるというだけのことを長々と書きましたが、今後ともよろしくお願いします。


今日は同期の中で私だけが出勤する日だったので、一人で事務所まで。

この日に書いた上司と、違う課から入ってきた人で一緒に運転の練習をすることになった。違う課から入ってきた人は、歳はひとつ下なのだが、社歴で言うと四年上という少しややこしい感じだ。でも「良い人そう~」を体現したような感じの人だった。

少し構内を運転した後、いきなり公道へ。わ、私ペーパーなんですけど.......と思いつつも運転。横で優しく教えてくれたので、何事もなく安全運転で走行できた。言われた通りに運転するだけなら多少ブランクがあっても全然できるな。

上司の人(課長と書いてるけど係長でした)は、前の日記では結構嫌な感じで書いているのだけど、あれからしばらくして少しずつ印象は変わっている。多分、根本にある思想は私とはかなり違うのだが、良い人ではある。新入社員をかなり気にかけてくれていて、優しいし面白い。私はその上司のことは結構好きなのだが、根本の思想の違いが垣間見えた瞬間、人間の種類が違いすぎてちょっと落ち込む。


映画「流浪の月」を見た。以下はネタバレありの感想です。

・まとめると、マイノリティがマジョリティの目に対してどう居場所を確保していくか、社会的な規範にどう抵抗していくか、みたいな話で、「万引き家族」や「正欲」と同じような雰囲気を感じた。特に、「正欲」とはかなり近かったかも。

・広瀬すずの演技めちゃくちゃ良い!映画「水は海に向かって流れる」の時もちょっと思ったけど、怒りを堪えている演技というか、内心では怒っているのだけど、それを表情に出そうとしていないような演技がめちゃくちゃ上手い。表面上は笑顔なのだけど、心の中では怒っているんだろうなというのが凄く分かる。

・更紗の恋人である亮という人物もかなり良かった。キャラクター自体もそうだし、中の人の演技も良かった。最初は、分かりやすく嫌なやつというか、作られた嫌なやつ感が気に入らなかったのだが、終盤に見せる苦悩の表情とかはかなり本物で、「なぜそうなってしまうか自分でも分からない」苦しみがちゃんと描かれていたと思う。

・過去と現在との繋げ方、場面の繋ぎ方が上手い。扉を開ける前まで描いて、次の場面で違う人物が扉を開ける、みたいな場面の繋ぎ方が特に好きだった。

・中盤あたりで、更紗がずっと溜め込んでいた鬱憤が弾けるシーンがある。名シーンだ。これまでずっと怒りを噛み殺しているような場面が続いていたからこそ、この場面は大きな爆発として印象に残る。

・更紗の「嫌なの」というセリフで、序盤に描かれていた、二人が性行為をするシーン、そして、亮に触られている更紗の表情が思い出される。最初見たときは、更紗の恍惚の表情であると認識していたのだが、「あれは嫌なのを我慢している表情だったのか」ということに後から気付かされる。見返すと、確かに嫌そうにも見える。「許す」という言葉もあの場面の少し前で出てきていて、後半の更紗の「なぜ許されなければならないのか」というセリフにも繋がる。

・更紗が文の隣に住み始めたときは笑っちゃった。しかも文の許可取ってないんかーい。でも、一緒に暮らし始めた、じゃないところがいいよな。一緒になりたいではなくて、隣にいたいという関係性。

・「あなたのことを本気で心配している人もいる」という店長の言葉のすぐ後に、店を去る更紗に誰も声をかけないカットが差し込まれて、ゾッとした。確か店員は三人いたが、その三人ともが声をかけていいものか、と逡巡している間に更紗が去っていく。だんだんと更紗だけにピントが合っていって、店員たちは遠くなり、ぼやけていく。更紗の人生から、簡単に関係が無くなっていく。私も、多分そっち側なんだろうな。

・結末としては、お互いがお互いを理解して、外部の目線を気にせずに流れていく、閉じていくという形になっていたが、これでいいのだろうかという気はずっとしている。これだけニュースにもなっていて、敵がたくさんいる世界で、もう完全に開かれてしまっている世界で、これから先、二人きりで閉じることが果たして可能なのかどうか。最後は二人の空間が理想郷のように描かれていたけれど、じゃあ現実はそうなのかと言うと、私はそうではないと感じる。どうすれば救われるのかに対しては、映画内で描かれることは無かった(というよりは、流されて閉じていくのが幸せだと描かれていたように思う)し、私自身見つかっていない。けれど、抗うことをやめて諦観し、居場所が無くなれば次の場所へと流されて生きていく方法が果たして最善なのかと、問いたくなる。けれど、この問いが物凄く暴力的な言葉であることにも気付いて、ずっとモヤモヤとしている。

・かなり好きだったので、小説も読もうと思います。小説はもうちょっとそれぞれの人物が深く描かれているような気がする。映画だと、やっぱり部分部分を切り取っていて、継ぎ接ぎしたような印象があったから。小説を読んでいなくてもそんな感じがしました。

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