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「匂い、身体、最高の動画」2024年1月19日の日記

ここ数日は家にいる時間が長くなってきたので、気晴らしに外に出る。よく行く本屋に行ったが、文芸コーナーが縮小されていた。
デパートの一角にある、椅子が並べられてある場所に座って本を読む。隣の人はマクドナルドの袋を持っていて、マクドナルドの強烈な匂いがする。少しお腹が空いて、こういう感覚が心地良いと思う。家にいてマクドナルドの匂いがする時って、マクドナルドを食べる時だけだから、食べられないマクドナルドの匂いを嗅ぐことって実は少ない。


岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだ。

「手のひらのスイッチ」という話が非常に良かった。最近私が考えていたこととよく似ている。

その後の「他人の手」、「ユッカに流れる時間」という話も良かった。「他人の手」を読みながら、ふと思い出したことがある。

高校生まで部活でサッカーをやっていた。公立の部活だったが、それなりに熱心な先生もいて、真剣に取り組んでいた。
私はFWをやっていたから、試合では点を決めることがよくあった。点を決めると、点を決めた私を祝福するためにチームメイトが集まってくる。大事な試合であればあるほど祝福は激しくなり、背中を強く叩かれたり、頭を撫でられたり、抱きつかれたりすることもあった。私は点を決めたことの喜びとともに、それに喜んでくれる他者がいることに、非常に強い喜びを感じていた。
そういう思い出がふと頭に蘇った時、私は最近誰にも抱きつかれていないことに気が付く。「他人の手」では、そういった、「性的な意味ではない、他人から身体を触られることの根源的な気持ちよさ」について書かれていた。

身体接触はもちろん、他人と身体の動きを同期させる程度のことにすら、ふつうは強い苦痛をともなうのだが、予期せぬかたちでふと他人の身体に触ってしまうことがあり、そしてとても不思議なことだが、それが強い肯定感や充足感をもたらすという経験が、ごくたまにだが、ある。

p129

他にも考えたこととかメモしておきたいこともあるので、もしかしたら別の記事として書くかも。


帰宅。


今日は兄が帰ってきていた。最近教師の仕事を一時的に再開したらしく、やりたくね〜ということを聞いた。小学校の友人から誘われて入ったため、隣のクラスでは友人が授業をしていたりするらしい。おもしろ〜。


母親が料理中に指を切った。近くにいた私がティッシュを持って行き、父親が絆創膏を持って行く。血が出ているから料理はやめとくと言って父親が変わる。
母親が指を切っただけで、生活に小さな歪みが生じる。そういった歪みは、悪いことに繋がるようで、良いことに繋がったりもする。些細なことで仲の良くない2人が話すこともあって、それはこういう怪我からだったりする。

これを食べました。まごうことなきバターサンド味。母親は買い物が趣味みたいなところがあるので、お菓子やアイス、パンなど、色々な新商品を食べる機会が結構ある。父親も食に関する仕事をしているし、食には結構関心のある家庭で育ったのかなとぼんやり思う。

この動画最高だ......。

車のスピードの遅さでめちゃくちゃ笑った。
元のMVだとかなりスピードが出ているのだが、再現の方だと住宅街で撮影していて、物凄くゆっくり走っている。
あと、途中で踊っている方の子どもが出てきたり、その奥にさらに小さい子どもが楽しそうに踊っている姿が見えたり、鏡越しに撮影者の姿(おそらく奥さん?)が出てきたり、猫の玩具がチラッと映ったり、この方の生活とか、撮影背景が見えてちょっと感動すらしてしまった。なんて素晴らしい動画なんだ。

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