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「アボカドは食べられないでござる」2023年7月31日の日記

夢を見た。
ほとんど覚えていないのだが、「あたしんち」に出てくる石田というキャラクターが「イヤイヤ集団行動をしている人を見ると落ち着く。心が一つになっていないのがわかるから」と言ってたことだけは覚えている。

ちなみに石田はこの人です。


今日は久しぶりに大学に行くことにした。「卒論をバリバリ進めるぜ!」という心意気である。
家を出た瞬間、自分の爪が伸びていることに気がつき、家に帰るまで気になり続けた。

駅前に来るのもやけに久しぶりに感じた。
まるで普段山に籠っているような書き方だと思ったが、正確には家に引きこもっているだけだ。


図書館に行って文献を借りた後、「文學界」8月号を少しだけ読んだ。
その中に収録されていた、藤原麻里奈「5月中は傘を差さない」というエッセイが面白かった。
タイトルにもあるように、5月中には絶対に傘を差さないと決め、実行したというエッセイである。雨の日も、土砂降りの日も、傘を差さずに濡れながら歩く日々の緊張感と意味のなさについて書かれていた。そして、こういう意味の無い行為は、死からの逃避でもあるということも書かれており、面白い行動とユニークな文章の中に鋭い死への希求が見えた。
本人からすれば死から逃げたいという気持ちで意味の無いことを実行しているのかもしれないが、実際にこういう思いつきを実行できる心の自由さというか、そういうものには憧れる。何事も面白がれる人間でありたい。


卒論の方は、かなり良い感じに進んだ。やっぱり家じゃない方が進むな。
とりあえず言葉の繋がりを気にせずに、考えたことや気づいたことを書くという方式にしてみたのだが、これが結構うまくいった。新しいアイデアも生まれ、前に進んでいるという実感を得られた。


8時頃に帰宅。

家族はすでに食べ終わっていて、食卓には「これを食べてね」と言った感じで夜ご飯が置かれていたのだが、その中にアボカドがあった。
私はアボカドが苦手であると家族にも何度も忠告していたにも関わらず、アボカドが残されていたのだ。これはどうしても食べられないでござる、となぜか武士口調で思いながらラップをし、冷蔵庫に入れた。明日姉にでも食べてもらおう。


最近はリビングに布団を敷いて寝ているが、毎日違うところに布団を敷き、違う方向を向いて寝ている。起きたら布団を片付け、寝る時に空いているところに布団を広げているため、そのような周期になっているが、ちゃんと毎日寝不足感がある。布団も薄っぺらいし。それでも日常生活に支障をきたす程度ではないのでなんとなく続けている。寿命が縮むのだとすれば、こういうことの積み重ねなんだろうな。

ただ、毎日「今日はここにこうやって布団を敷いてこの向きで寝ようかな」と考えている時間は、旅行で宿に泊まった時に和室に布団を敷いている感じがして少し楽しい。

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