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「割れた皿にさよなら」2023年2月16日の日記

今日はあんまり気力のない1日だった。気がついたら1日が終わっていたという感じ。


学内の企業説明会があったので1時間ほど参加。割と楽しいが、果たしてこのままで大丈夫だろうかという思いもある。

昼にナポリタンを作って食べた。美味い。

この動画が良かった。

この人の演技は結構好きで、多分好きな女優がいない中で強いてあげるならこの人になるんだろうけど、演技をしていないこの人を見るのはほとんど初めてだった。考え方とか、喋り方とかも含めて魅力的な人だ。こういう温度感のある「好き語り」の能力は私にはあんまりないから、見ていて楽しい。


少し久しぶりにギターを触ったのだが、見事に下手になっていて笑った。こんなに手って動かなくなるものなのか。びっくりした。
適当に何曲か弾いていたら祖母が一階から上がってきて、チョコレートをくれた。
バレンタインだとかでちゃんと家族の中でも男3人にしか用意されていなかったのだが、なんか違うなと思ったので分けて皆で食べた。


晩御飯の時に父親が食器棚から皿を出そうとして落としてしまい、皿を割ってしまった。
明らかに危なそうな皿の取り出し方をしていたので、注意しようかと思った瞬間の出来事だった。もう少し早めに言っておけば…..。

姉と母親がスリッパを履いており、私や父親や弟は裸足であったため、姉と母親が皿の破片を率先して片付けてくれていたが、何もできなくて突っ立っている父親の姿が教室でガラスを割った時の生徒の姿にそっくりで笑ってしまった。姉と母親が先生で、先生側からすれば生徒の安全のために自ら率先して片付けていて、生徒側は自分の罪を自分で処理したいのに何も手出しできない、みたいな状況によく似ていた。窓ガラスじゃないにしても、自分のやった罪に対して自分ではどうにかできず、他者が動いているあの状況、本当に気まずいよね〜。

割れた皿はいつもコーンフレークを食べる時に使っていた皿だったから、「もうコーンフレーク食べれんくなったやん」と冗談を言った。母親からしたらかき氷を食べる用の皿らしく、母親はかき氷を食べられなくなったと言った。


最近はインスタを全く更新していなかったので、昔撮った弾き語りの動画をストーリーにあげた。

たまに、無性に自分を出したくなる時(というよりは、自己開示しないといけないという焦燥感と不安)がやってくる。毎日日記でやってるじゃん!と思われるかも知れないが、この自己開示の欲求はは私のことを直接知っている人に向けてでないと効果がない。

自分が思っている自分と、実際に他人から見られている自分というのは間違いなく違う。そんなもの、誰でもそうだ。自分から見た自分と他者から見た自分が全く同じなんて自分を見せるのがやけに上手いか、他者の目線に合わせて自分を変容しているだけだ。
私はその「違い」というのをできるだけ0に近づけたいという気持ちがある。自分が思う自分と他者が思う自分が乖離しているのは気持ち悪い。特に中・高は常にその他者の目線と本当の自分との乖離との闘いだった。けれど、そういう気持ちがありながら、逆に知られたくない気持ちも同居している。
この不思議な気持ちは言語化しないだけで、割と多くの人が持っていると私は勝手に思っているのだが、どうなんだろう。

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