見出し画像

「聲の形とオムライス」2023年3月31日の日記


昨日の日記にコメントが来ていて(ありがとうございます)、色々と考えていたら物凄く長くなってしまったので、こちらに書きます。


川井に関してはネット上でもかなりヘイトを集めていると思うのですが、今回はちょっと違った角度で川井のことを考えてみようと思います。

川井は自己愛がめちゃくちゃ強いキャラクターだと思うんですけど、おそらく唯一自分の罪を自覚していないんですよね。彼女だけが綺麗なままでいようとしていて、そこが胸糞悪いと言われているんですけど、実際こういう人間は割と多い(むしろ多数派?)と思っていて、そこがめちゃくちゃリアルだなと思います。「聲の形」では川井の心情があんまり描かれないので、川井目線の物語になった時に将也たちがどう映るのかは見てみたいですね。

川井に関しては分からないことも結構多くて、例えば、川井は合唱コンクールの練習の時にわざと西宮が間違えるように誘導しているんですよね(川井が変なタイミングで歌い出すフリをしていて、西宮がそれを見て合わせようとした結果、間違えてしまう場面が描かれています)。これ、結構分かりづらく描かれているので、初見だと気付かない人が多いんですけど、この辺りの動機ははっきりと描かれないですし、意図がよく分からないです。「西宮に優しくする自分可愛い!」と思っているのか、「西宮に優しく教えてあげる自分をもっと愛して!」という意味なのか。どちらにせよ歪んでいることには変わらないけれど。

川井と将也は同じ高校に通っているんですけど、小学校の立ち位置的に、川井と将也の学力には大きな差があるようにしか思えないんですよね。でも、高校では同じ学校に入学しているということで、高校入学時点での学力の差はほとんどない。

将也が元々勉強できたか、中学時代で勉強を頑張った可能性はあるが、いじめられていたことや家庭環境(屋根裏に部屋があって、まともな学習机すらない)からその可能性は少ない。となると、小学校時点で川井は見た目よりも勉強ができなかった可能性が高いと考えています(まあ、勉強ができたけどたまたま家が近いからその高校にしたとか、色々と理由は考えられますけど。ちなみに、将也は自転車でかなりの距離を漕いで学校に行っているので、将也が家からの近さで高校を選んだ可能性はないです)。仮にそうだとすると、川井が昔からそこにコンプレックや歪みを抱えている場合があるんじゃないかと。

川井のあの自己愛と承認欲求というのは、ちゃんとまっすぐ育てられていたら不自然な気がしていて、割と川井の家庭環境にも関わってくるような気がします。もちろん川井の家族環境は全く描かれないので(家族構成も、どのような場所に住んでいるのかも描かれない)なんとも言えないですけど、仮に川井の家庭環境になんらかの問題があった場合、川井がああなったのも仕方がない部分があるかもしれないです。

千羽鶴のシーンは紛れもなく「良いやつ」として描かれていたと思うので、まあ真の意味で「悪いやつ」ではないんだろうと思います。

川井は描かれない部分も多いのでなんとも言えないんですけど、歪んでいるようで真っ直ぐで、自意識が高いようで罪の意識がないという、かなり唯一無二なキャラクターのような気がします。


返信としては以上(本当に長くなってしまった......)なのだが、他にも色々と気付いた点があるので追記していく。


花火を見るシーンでは、植野が家族(?)と花火を見るシーンが一瞬だけ出てきたのだが、そこには母親がいなかったんですよね。つまり、植野はおそらく父子家庭(もしくは母親が仕事などで忙しい)で、さらに4人兄弟の長女に位置するので、昔から何かと苦労してきたんじゃないかと思うんですよね。あの歳で下に3人の男がいて、母親が側にいないという環境はかなり育ちにも影響が出てくると思います。

その人物だけに目を向ければ、「川井キモい」とか「植野ウザい」とか色々と言えると思うんですけど、彼女たちの育ってきた背景を想像すると少し可哀想な気もしてくるのがこの作品の奥深いところだと思っています。そして、映画の中だけでそれを考えさせられるだけの情報が詰まっている。

高校生でアルバイトをしている姿が描かれるのは将也、植野、島田の3人だけで、おそらくこの3人は貧困層に当たる可能性が高いと思ってます。島田がダボダボの服を着ているのも、親の服や兄の服しか着させてもらえなかったからなんじゃないかと勝手に深読みしていたんですが、でも島田ピアノも弾けるし育ちも良い感じはするんですよね〜。この時点で島田も貧困層の家庭で育った説が少し薄まったんですけど、あの濁った目とかを考えると、ネグレクト気味だったり、親に放置されたりして、家庭に何かしらの問題を抱えていたんじゃないかなーと思ってます。

逆に永束なんかは、平気で3万円を将也に渡そうとするくらいには生活に余裕がある。ギャグ(?)とはいえ、高校生で普段から財布に3万円を入れているという時点でそれなりに裕福なのだろう。川井も両親から愛されて甘やかされて育ってきたんだろうなという気がするし、佐原や真柴は普通の家庭で育ってそう(佐原はそこそこ大きめの一軒家に住んでいて、自分の部屋もちゃんとある)。

そういうことを考えると、やっぱり根本の部分で悪いのは公教育の不十分さのように思えてくるんですよね。

最初は西宮に対して、みんな好奇心とはいえ興味を持って友好的に接していたはずなんですよ。でも、西宮のフォローをしていると授業についていけなかったり、生徒たちが学校生活を送る上で負担になってきた。ここに関しても、教師がなんとかできたんじゃないかって思う。授業の進め方についても全く配慮されていないし。

手話に関しても、生徒の負担になるような、ある意味押し付けのような形で提示されていたし、もっと上手くやれたんじゃないかっていうのは思った。

でも、この作品はそういう教育の闇みたいな部分を強く描いてはいなくて、そういったところにも闇を感じる。彼らは自分たちの関係性が変わったのが教師のせいだなんて思わないですよ。将也も、西宮も、植野も、ずっと罪の意識に苛まれて、2人に関しては自殺しようとするくらいに苦しんでいる。本来なら、もっと早い段階で救ってあげられたはずだと思うんです。それぞれ家庭環境や、経済的な部分で欠けている部分とかを、もっと公教育でフォローするべきだったし、それが教育の役割でもあると思うんです。それがうまく機能しなかった時に、彼らの人生はこれだけ大きく変わるんだなと。そう考えると、小学校の時の教育って本当に恐ろしいほどに大事だなと改めて考えさせられましたね。


書いていたら凄く長くなってしまったけど、とりあえず昨日見た感想としてはこんな感じです。

そういえばかなり昔に一度聲の形の感想を書いたものがあって、今とは抱いている印象が少し違う部分もあってなかなか興味深いので載せておきます。今回は人にフォーカスして書いていますが、この記事では構成とか演出なんかについても書いています。


長々と書いてしまったが、今日の日記に移ります。


今日は朝の10時からzoomで1次面接があったので参加。話した時間としては10分も無くて、あまり上手く喋れなかったという印象だったが、夜には通過の連絡が来ていた。ほう。最低限のコミュニケーション能力とかを見るやつなのかな。


昼にオムライスを作ることにした。

オムライスを極めたいという気持ちがあり、たびたび練習していたのだが、最近は卵が高いということでなかなかしていなかった。

よしよし。これで包丁を真ん中に入れ、ハラリと左右が落ちれば成功だ。

おい。切れ目が入っただけじゃないか。

ということで失敗。でも成功の兆しは見えたな。火を通しすぎたので、もう少し早めに火を消せばうまくいくかも。


明日から家族全員で岐阜県に旅行に行くので夜はその準備などをしていた。兄も家に帰ってきていたのでガヤガヤと喋りつつ。

弟に、遠野遥の「破局」という小説には膝という人物が出てくるんだと言って、最初に膝が出てくる一文を読んだら爆笑していた。改めて考えるとめちゃくちゃ変で面白いよな。


岐阜旅行の2日目は「聲の形」の聖地に行こうと思っているので、楽しみだ。ちなみに、日記は多分帰ってきてからの投稿になるので、明日はお休みすると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?