見出し画像

「出棺」2023年9月2日の日記

午後から葬儀・告別式が行われた。
昨日と同じ場所に行き、読経、焼香、そして花入れを行い、最後に出棺、骨上げという流れだ。


読経や焼香は昨日と変わらず。


花入れでは、叔母の好きだったもの、着ていた衣服、花などを棺の中に入れていった。これで顔を見れるのは最後らしい。できるだけしっかりと顔を見るようにした。花入れの際には棺を前に出すので、体全体が棺に入っているのが分かった。叔母はコーヒーが好きだというから、コーヒーを一緒に供えた。


花入れが終わった後は出棺に移った。
火葬場までバスで移動し、棺を扉の中へ移動させる。扉の内部はコンクリートの部屋になっており、どうやらここで火葬するようだ。
扉の中に自動で棺が入っていくと、燃えるのを待つ時間になる。また焼香を行った会場まで移動し、弁当を食べながら待つ。

最後に骨上げと言って、火葬後に残った骨を骨壷の中に入れる儀式がある。個人的にはこの瞬間がかなり辛かった。
思っていたよりも骨がちゃんと残っていて驚いた。もっと灰のようになるのかと思っていたけれど、大きい骨は割と残るようだ。
燃えているので骨は崩れやすくなっており、大きい骨は崩しながら骨壷の中に入れてくださいということだったが、なかなかできそうにもなかった。係の人は慣れているのか、骨壷の中の骨をザクザクと砕いて入れやすいようにしていて、それを見るのも辛かった。
そこにあるのはただの骨で、誰かを判別することは決してできないのだけれど、同じ部屋から出てきたから、間違いなくそこにあるのは叔母の骨なのだろう。たった数分息が止まれば人は簡単に死んでしまうし、数十分の間で人は簡単に骨になってしまう。

遺体として形があるうちは、顔を見ることもできてまだ存在が確認できたけれど、骨や灰になってしまえばもう誰かも分からず、完全に無になってしまったような気がした。確かにそこにあったものの存在が消えてしまって、より一層死を実感した。


この1週間はずっとバタバタとしていた。気持ちの整理をつける暇もなくあっという間に人が骨になってしまって、気持ちを切り替えるように強制されているようでもあった。どうも急かされているような気がして苦手だ。これからもっと長い時間をかけて、その人の死を実感していくだろう。毎年夏と冬に叔母とは会っていたが、それももうできなくなるのだ。小さい頃からよく遊んでもらっていたのを覚えている。叔母に子どもができてからも、子どもに離乳食をあげたり、一緒に遊んだりした。その輪の中に、もう二度と叔母が加わることはないのだと思うと、やはりやりきれない気持ちが大きい。



明日祖母を広島の施設に送り届け、それで少し落ち着けるだろう。少し疲れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?