見出し画像

「繋がる手の皺の先の」2023年9月24日の日記

深夜の3時に一階から物音がして起きた。
耳を澄ましてみると祖父が私(正確には私の弟)の名前を呼ぶ声がした。急いで階段を降りて向かうと、ベッドから落ちて畳の上でもがいている祖母の姿があった。どうやら、自分でオムツを替えようとしてベッドから落ちてしまったようだ。
怪我は無さそうだったので、抱っこをして祖母をベッドまで戻す。
そうしていると母親と姉も起きてきて、オムツは母親が替えてくれることになった。
眠れないスキル(小さな物音で起きてしまう)がここで役に立つとは思わなかったな。


もう一度眠り、8時頃に目覚めた。眠い。


朝ご飯を食べると言われたので起きて、下の階へ行く。昨日祖母の従兄弟から頂いたマフィンを食べた。

街で使える商品券が余っているから使ってきて欲しいということで、昼に食べる用のピザを買うことにした。
店の外にバジルを育てているようで、注文するとすぐに店長が外に出てバジルを千切っていた。投げやりにも見える、バジルを千切るそのスムーズな動きが少しおかしかった。 


祖父に頼まれていたものを買って帰る。


祖母が服と帽子を施設で作ったらしく、祖父の米寿のお祝いとして一緒に写真を撮ることになった。まずは祖父母の2人で写真を撮る。祖父がさりげなく祖母の手を取った。そこに特別感はなく、当然のような雰囲気で2人がカメラ越しに手を繋いでいる。
私が物心ついてから何度もこの家に来ているが、はっきり言ってこの2人の仲が良いとは到底思えなかった。何十年間も、ずっと。
けれど、私には知ることができない、2人だけの時間というのはきっと存在していたのだ。私が生まれる遥か昔から2人は出会っている。そして、少なからず好意があったからこそ2人は結婚したのだろう。その遥か昔の時間が一瞬戻ってきたような、そういう感覚があって、少し泣きそうになってしまった。
2人だけの世界では決して成り立たない、安易な言葉で言ってしまえばそれは絆のような、そういったものが私たちを通して繋がっているような感覚があった。

もしかしたら、2人の距離が離れてしまったのは、祖母が病気になったせいなのかもしれない。2人が老いてしまったせいなのかもしれない。2人の子どもたちが大人になったせいなのかもしれない。そして、時間が流れたせいなのかもしれない。誰のせいでもなく、「時間」のせいで色々なものが狂ってしまったのだとすれば、こんなに残酷なことはない。これは、私の両親を見ていても思う。


写真を一通り撮った後は帰る準備をする。祖母を施設まで送り届けた後、私たちの家まで帰らなければならない。


施設は相変わらず静かだった。
インターホンを押すと職員がやってきて、祖母を施設の中に連れていく。中の様子は分からない。また閉じ込められる、と思った。


帰りは思ったよりも早かった。

今回はもっと家の中で過ごすかと思っていたら割とずっと出かけていてバタバタしていた。家の中にいても晩御飯の準備、片付け、他にも諸々気を遣うことが多く、かなり疲れてしまったが、大学生のうちに会えて良かったと思う。もういつ会えなくなるか分からないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?