日記を読み返して好きだった部分(2023年版)

日記をnoteに投稿し始めて、2年が経った。もうすっかり習慣化してしまって、毎日1000字くらい日記を書いている。今回は、1年を振り返ってみて、その中で個人的に好きな部分を抜粋してみた。

ふと電車の窓から外を見ると、海が見えた。
暗闇にある海を見ると、海は黒い床に見える。海は落ちていく夕日を少しだけ反射して赤が混じっていた。海は毎日のように見ているけれど、海を見るといつだって心が躍るなと思った。

1月3日の日記

起きたら姉が夜ご飯を作っていたので軽く手伝った。レンコンをイチョウ切りにしてくれと頼まれたので、「レンコンのアイデンティティーが失われる.....」と思いながら切った。

1月9日の日記

家に帰ったら、兄と姉が先に帰ってきていて、恋人の話とか仕事の話とかの大人の話をしていた。私はそういう話になると途端に何も話せなくなる。人生からはなるべく遠ざかって生きたい。

1月11日の日記

夜遅くにインターホンが鳴り、なんだこんな時間にと思ってインターホンを出ると、弟だった。どうやら弟が遅くに帰ってくることを姉に知らせておらず、最後だと思って鍵を閉めてしまったらしい。
一階へ降りて玄関の前に行くとガチャガチャとドアを開けようとする音がした。念のため「エルプサイ」とドア越しに言うと、「コングルゥ」と返ってきたので迷わずドアを開けた。

1月16日の日記

夜の10時くらいに外で「バイバ〜イ、気をつけてね〜!」という大きな声がして、「物語の一場面に出くわしたみたいで素敵だな」と思った。「誰かが別れてるな」と冗談っぽく呟いたら、近くにいた母親が「うるさいなぁ」と呟いていて笑った。同じ現象を見ても、こうも捉え方が違うのだ。これが他人かぁ、と少し嬉しくなった。

1月22日の日記

肉が美味い。肉が美味いということを伝えようとしたが、部屋には私と寝落ちしている母親がいるだけであったから、何も言わなかった。
何も言わなかったから、こうして日記に書いているのかもしれないと思った。

1月26日の日記

本当の意味で正しいことなんて分からないし、正しさがそこにあるかすら分からないのに、人数が多いというだけで正しいとなってしまう状況が嫌で、でもこの世界は基本的に数が多い方が勝つというシステムになっているので、基本的にこの世界は嫌だと思いながら生きています。

2月13日の日記

やはり対面でしか得れない温度感も感じて、コロナ禍でかなりそういった面で得られていない部分も多いんだろうなというのも感じた。
我々の世代はコロナに慣れていない中で大学の1回生が始まり、右も左も分からない中、さらに先輩との関係性も持てない中で1年間はほとんどオンラインで授業を終え、2年が始まってやっと対面授業に移行し始めたと思ったらもう就活が始まっているという状況で、機会の損失も相応にあったんだろうなと思う。

2月18日の日記

図書館から出ようとした時に、入ってくる人たちとすれ違った。
入ってくる人たちは皆入り口に置かれてあるアルコールを手に塗り広げていて、アルコールを手指に塗り広げる時の動きは、冬に手指が冷たくて擦り合わせる時の動きと一緒だなと思った。一度そう考えてしまうと、アルコールを広げているだけなのに、外から入ってくる人たちが皆寒そうに見えてくる。
この発見は、なんとなく自分の中でハッとするような気付きだった。

3月3日の日記

映画を見終わった後、リビングでアイスを食べながらコーヒーを飲んで、姉と弟で好きな音楽(できるだけ他の人が知らないやつ)を流し合うやつをやった。
各々が鼻歌で歌っているのか、なんか聞いたことある!みたいなものが流れて、「なんで知ってるんや?」→「お前が鼻歌でよく歌ってるやつか!」となる流れが気持ちよかった。これは同居していて、間接的な部分でも時間を共有しているからこその伏線回収だ。

3月7日の日記

私はどうしても行きたい高校が見つからなくて、どうしても行きたい大学も見つからなくて、なんとなく家から近いからとか、なんとなく学力が高いからとか、たまたま合格したからとか、そんな外側の情報ばかり優先して進路を選択してきた。そしてそれでなんとなく幸せな生活ができて楽しく生きてこられた。多分その心意気はこれからも変わらなくて、こだわりのない生活を続けていくのだろうけれど、いつかその「報い」みたいなものが来るのだろうかという不安はある。自ら何かを求めて手を伸ばそうとしない人間に与えられないものがいつか出てくるんじゃないのかと。そんな自問自答をしてしまう時がある。

3月9日の日記

2011年の3月11日、確か私はまだ小学生だった。学校から帰ってきたら母親がテレビの前で涙を流していたのを今でも覚えている。
テレビでは、津波の映像が立て続けに流れていた。木々が泥水に飲み込まれ、泥水の中に浮かぶ屋根の上で人が立ち往生していた。
そんな映像を鮮明に覚えているけれど、私自身がその時に何を考えていたのか、不思議と思い出すことはできない。悲しんだのだろうか。それともテレビの中のことだと知らないふりをしたのだろうか。
小学生の頃は身の回りのことが世界で、目の見えるところで起きたことばかりが現実だった。地震が起きたのはまだ遠い場所のことだった。けれど、多分今同じことが起きたなら、その時に感じたこととは全く違った種類の感情を抱くのだろうという確信がある。それだけ、私は大人になったのだと思うし、世界は広がった。今ならその恐ろしさがありありと分かる。けれど、子どもの私はそういうことを何も分かっていなかった。今はそのことが恐ろしいとも思う。

3月11日の日記

私の周りには日記を公開している人はおろか、日記を書いている人すらいない。私は昔から、人が頭の中で何を考えているのかを知りたいという欲求が強いように思う。
私は喋るのが下手だ。喋るのが下手で、自己開示が下手ということは、相手も自分をさらけ出そうとはしないということだ。だから、かなりの割合で人間関係は希薄なものになってしまうし、自分の言いたいことのほとんどは胸の中へと消えてしまう。
当たり前かも知れないけれど、その人のことはその人の口や態度からでしか分からなくて、その人の気持ちは、言葉として口に出さないと知ることができない。私は、その人が口に出さずに捨ててしまった言葉をもっと知りたいと思う。全部掬い上げて、拾い上げてみたいと思う。どの言葉を選んで、どの言葉を捨てているのかをもっと知りたいと思う。そのためには、その人の日記を読むしかないのだ。どれだけ話したって、口に出さない言葉はあるのだから、口に出さなかった言葉を知るためには、日記とか、そういうものを読むしかない。けれど、私が気になっている人で、かつ日記などの自分の思考を書き残していて、かつそれを公開していて、私が見える状態になっているという状況はかなり稀なことで、なかなかない。

3月19日の日記

歩いていると、近くにあった手すりにイソヒヨドリがとまって、チチ、と鳴きながら羽をパタパタとさせた。こういう、人間ではない生き物を見るたびに不思議と救われる気分になる。
人間は皆何かを考えているが、鳥は多分そうではない。あのなんも考えていない感じが好きだなと思う。なんも考えずに生きていきたいと常日頃から思っているけれど、それは絶対に無理なので、毎日何かを考えては悩んでいる。

4月3日の日記

夜に弟とゲームをしている時に、弟が「これが俺のしんこっつぉう!(真骨頂)」と言ったので、「いやマリトッツォみたいに言うな」とツッコんだ。個人的に結構良いボケだと思ったので覚えておこう。

4月13日の日記

面接で出会う学生たちや大人たちはみんな「良い人」だ。「良い人」というのはもう少し具体的に言うと、社会性があったり、コミュニケーション能力のあったりする人で、社会性のない人はこういう場には来ない(来れない)んだろうなと思う。この場にはある程度似たような環境で育った人たちが集まってきている。これは大学に入った時にも思ったことで、あえて悪く言うならば、こうして視野は狭まっていくんだろうなという気もする。
そういった「良い人」たちと喋るのは楽しいし楽だけれど、結局それは自分と似ているからにすぎないんじゃない?と注意喚起する自分もいて、この後ろめたさにも近い気持ちは何なんだろうとずっと考えている。

4月17日の日記

例えば、駅で何かに対して怒鳴っている人間がいたとする。私はそれを見て「うるさい」と思ったり、「変な人」だと思ったりするだろう。しかし、私はその人間が何に対して怒っているのかも、怒っている理由も知らない。もしかしたらその人間の怒っている理由が、その人間の生まれや育ちに関係するものなのかもしれない。大切な人を守るために怒っているのかもしれない。そういった一切のバックグラウンドを知らないままに私はその人間の側を通り過ぎて、電車に乗る。私が知っているのはその人間が怒っているという「事実」だけである。
上記のことはあくまで例え話だが、この世界にはそういうことが多すぎると思う。

4月26日の日記

そもそも私は努力というものが本当に必要なのかというところから疑念を持っている。
私にとって「努力」というのは「嫌なことを頑張ってすること」だと思っている。けれど、嫌なことを頑張ってやってもあんまり意味なくない?と思う。楽しめることをやった方がいいじゃん。無理しなくても別にいいじゃん。無理しなくても、違う場所や分野で活躍すれば良いじゃん、と普通に思う。
でも、これって、努力しなくてもある程度できる人間の戯言に過ぎないんじゃないかというのも思う。私の想像の範疇を超えて努力している人間だっているのだろう。ゼロからプラスにする努力だけではなくて、マイナスをゼロに戻すような努力だっていくらでもあるだろうし、そういった、ついていくために必死で努力している人間に向かって、「努力って別にいらないよね」と言ってしまう暴力性も私は理解している。だから決して口には出さないけれど、本心を言えば私はそう思っている。

5月2日の日記

日記を書くということは、何かをしたという痕跡を残すと同時に、たいそうなことは何もしていないと自身に刻み込む動作なのではないか。

5月14日の日記

自分の嫌なところを、全てひっくるめて自分を愛するなんて到底無理で、嫌なところは嫌なところとして見つめて、その都度嫌な気分になるしかない。その諦めによってしか、心の平穏を保つことはできない。

5月30日の日記

風呂に入るもののボディーソープが切れており、どうやらストックも無いみたいだったので、洗面所の棚の奥にあった小さい容器に入っているボディーソープを使ったのだが、そのボディーソープの匂いがやけに懐かしかった。
おそらく小さい頃に旅行に行くときに持って行って使っていたのだろう。不思議と銭湯を思い出すような匂いで、銭湯のやけにざわざわとした音や湯気で曇った視界、そして、横に並んで体を洗っている父親の姿がパッと頭の中に浮かんだ。
具体的な場所がどこかは分からない、おそらく様々な場所の融合が私にその景色を見せたのだろうが、自分の家の風呂に違う匂いが入り込んだだけで一気に頭の中の情景が変わる感覚があった。

6月20日の日記

カロリーの高い食べ物に対し、「罪深い」と書く傾向がこの世界にはあるが、私はカロリーの高いものに対して別に罪を感じていないので、勝手に罪を押し付けられているような気がして嫌です。

7月3日の日記

人生における目標、みたいなものが私には無いなと思う。これだけはしたくないというのも、多分人よりも少ないと思う。人は殺したくない。
目標を作ることによって、一気に人生が空虚になる感覚がある。目標を達成して、次の目標を立てて、それを重ねることによって、最終的に自分に訪れるであろう死に向かって一直線に進んでいる感じがする。
多くの人間は、人生に目標があるように見える。そして、人生に目標がないことを悩みとしている人も多い。しかし、目標を立てて何になるというのだ。結局のところ、目標を立てることによって目の前のことに集中して死から遠ざかることのできる人間と、目標を立てないことによって将来を曖昧にし、死から遠ざかることのできる人間がいるだけだ。ので、人生に目標なんて無くたって良い!これは、自分自身を肯定するための言葉でもある。

8月5日の日記

こういう大人数でのコミュニケーションって、自分からグイグイ話に参加する姿勢が求められるので私は苦手だ。話を聞いたり、雰囲気を感じるだけで楽しいのだが、気を遣わせてしまっているんじゃないかという後ろめたさは抜けない。
一対一のコミュニケーションなら、相手から発せられた言葉は絶対に自分に向けられたものだし、自分から発するのは絶対に相手への言葉だ。これが大人数になると、誰かの発した言葉に食いついて自分も喋る必要があるし、自分が発する言葉はその場にいる誰かに向けられたものになる。けれど、自分の発した言葉は空気の中に消えていってしまうような感覚になってしまって、なかなか言葉が出ない。結局、ニコニコしているだけのやつになってしまう。

8月28日の日記

子供の頃は経験も知識もなく、自分が正しいのかが全く分からなかったため、理不尽な目にあっても、反撃しようとは思わなかった。
ある程度成長して、常識とかが自分の中で確立してくると、それを守らない人間のことがちゃんと悪い者として認識されるようになる。自分が正しいと絶対的に思えるからこそ怒ることができる。昔はそんなことできなかったと思う。
体感的に、歳をとっている人の方が多く怒っているイメージだが、これは経験や知識が積み重なってきて、自分の中である程度正義が確立していくからなのだと思う。何も知らないと、自分が正しいと思うことすらできない。

9月3日の日記

祖父が大きい声を出す時、私の母親に偉そうに命令する時、祖母に悪口を言う時、私は祖父の死をうっすらと願っている。祖父は数年前に倒れて生死を彷徨うほど危ない状態に陥ったが、今考えるとその時に死んだ方が幸せだったんじゃないかと、叔母が亡くなった次の夜に兄と車の中で話したことがある。皆からうっすらと死を願われている今の祖父の状態は果たして幸せなのかと、考えざるを得ない。

9月22日の日記

叔母の従兄弟は私のことを私の兄だと勘違いしていたらしい。祖父には数年前からずっと弟だと勘違いされていて、私は帰っていないことになっている。昨日、私のことを頑固だと言ったのはおそらくしばらく帰っていないと思い込んでいるからだろう。
私は幼少期から弟と間違われてきて、大きくなってからは兄とも間違われるようになった。これは真ん中っ子の宿命とも言えるだろう。そうやって、常に間違われてきた人生だから、祖父に間違われることもすっかり板についてきたけれど、母親はそういう私を見て可哀想だと言ってくれた。母親は母親で、真ん中っ子で、妹と間違われてきた人生で(私と弟、母親と母親の妹はそれぞれ名前がよく似ている)、おそらく自分の姿を私に投影している部分もあるのだろうな。

9月23日の日記

読んだ感想を電車の中でずっと書いていたら、いつの間にか降りる駅を過ごしていた。「降りる駅を過ごしていた!」と思って確認したら、そもそも乗る電車を間違えており、間違いの前からすでに間違えていたことが判明した。こういう時間を積み重ねて俺は星になる。

10月16日の日記

「思ったことを言ってしまう人」があまりにも多くて疲れる。些細な発言が積み重なることによって大きく傷つく人がいるかもしれない可能性について、もう考え尽くされているし充分に流布されているように感じるにも関わらず、何も変わっていない。誰も何も学んでいないんじゃないか。そして、インターネットは思ったことを言わない人たちが目立たず、思ったことを言ってしまう人ばかりが表層に出てくるようになっている。「別に言わなくて良くねぇ!?」と私の中のトータルテンボスが言っている。
「思う」ことと、それを「言う」ことの間には果てしないほどの差があるはずなのだが、その差を全然理解していない人は大勢いて、なぜか「思ったのだから言っていい」みたいになっている。そして、そういう人はきっと思ったことをインターネット上で言うことと世間話として誰かに言うことの差も分かっていないのだろう。

11月14日の日記

数年前から、同じ歳の人間がやけに大人に見える。私は比較的精神的な成熟が早い方で、小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も明らかに自分よりも周りの方が子どもに見えた。けれど、気がつけば周りのみんなはもうすっかり大人になっていて、自分だけがまだ子どものまま取り残されているような感覚がある。これってみんなそうなのかしら。みんな周りの方が自分よりも大人に見えていて、子どもに見えないように振る舞っているだけなのかしら。

11月23日の日記

家を出る直前に足を思いっきりぶつけてしまった。「足やけど痛手、ハッハッハ!」と空元気で誤魔化して顔の痙攣が激しくなって月の出のように真珠色の涙が下瞼から湧いた。

11月27日の日記

日記には、書いている時のノリが直に1日の記録として反映されるから面白い。その1日がいかにつまらないものであっても、逆に面白い日だったとしても、書いている時のテンションによって残り方、伝わり方は変わってくる。1日というある程度連続した時間を記録しているように見えて、残るのは書いている時の刹那的なノリに過ぎない。

11月27日の日記

帰る時に、2人から「良いお年を!」と言われた。なんて答えていいのか分からず、「はーい!」って言っちゃった。普通に「良いお年を!」で返したら良かった。また言う機会を逃した。

12月30日

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