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「ポケットの中で握る手」2023年12月25日の日記

11時から今まで寝てました、あんまり書く気が起こらないので適当に時間を稼ぎながら徐々にスイッチを入れていきたいと思います。


昼頃から天気も良いので外に出たのだが、特に当てもなく、気がついたら漫画喫茶に入って漫画を読んでいた。学生の間は料金が比較的安くなるので、今のうちにたくさん漫画を読んでおきたいところだ。


「今際の国アリス」という漫画を10巻まで読んだ。
こういうデスゲーム系は結構好きで読むのだが、最後まで完成度が高いまま終わっていくのはあまり見たことがない。なんとなくパターンがあるので、ある程度先の展開までは読めるのだが、最後の終わり方というのがなかなか難しい印象だ。大抵は「主催者を倒す」とか「この醜いゲームを終わらせる」とか、「ここから脱出する」というのが主人公の目的になっていくわけだが、組織の根幹に迫っていくあたりでどうしても無理が出てくる。そもそも組織の成り立ちが無茶だったり、超次元的な方法で支配しているせいでそれを止める方法に説得力が無くなったりして納得感のないまま終わる、なんてことがよくある。この漫画は結構巻数もあるが、最後どうなるだろうか。


しばらく漫画を読み、店を出る。あたりは少し暗くなっていて、クリスマスムードが強まっていた。ポケットに手を入れながら、街をぶらぶらと歩く。ロータリーでは何人かが音楽を演奏している。街は心なしかいつもより賑やかで、楽しそうに見えた。私も嬉しかった。みんな幸せそうで、私まで嬉しくなった。クリスマスが終われば街はすぐに年末の空気になる。みんな切り替えが上手すぎるなと毎年思う。余韻みたいなものが一切無く、明日になれば人々の表情は年末に切り替わっている。


先日の大学のイベントで撮って貰った写真が送られてきて、その中には私と村田沙耶香さんがバッチリ映っているものもあった。貴重。保存。
あまり読書をしない友人に見せると、「誰やー?」みたいな反応をされたので、今度『コンビニ人間』を貸して分からせることにします。

この日記にも書いたけど、その続き。
その後もM-1関連の動画を死ぬほど見ていたのだけど、ネタの中で失礼なこととかを言った時に、「自分がこう思っているから言ってはいけない!」とか、「それは酷いことだからやめろ!」というツッコミの方向性ではなく、「その発言を聞いてうるさく言う人がいるからやめろ!」とか、「炎上してしまうからやめろ!」という方向性のツッコミが多くて、非常にインターネット的だなと思う。「差別」とか「配慮」の感覚を自分の内部ではなく外部の感覚と照らし合わせているような感じがして私は気になった。
もちろん、規範とか常識は外部の環境によって変わっていくから、感覚を周りに合わせていくのというのは誰もがやっていることではあると思うのだが、誰かが怒るから、という見えない敵に怯えて(あるいは馬鹿にして)、それをツッコミとして言ってしまうのは少し無責任な感じがする。

M-1を見ながら、「捻くれ過ぎて最近人を傷つけない笑いが一周まわって好きになってきた」とふざけて言っていたのだが、それもこういうことを考えてしまうからなのです。
「人を傷つけない笑い」みたいなものが流行し出して、ウエストランドの優勝によってやっぱり人を傷つける笑いが面白い!みたいになってきているけど、私は逆張り人間なので、「人を傷つけない笑い」の流行が私の中で今来ている。


お笑いだから、別に難しく考えることも無いんだろうけど、あまりにも「炎上しちゃうから」というワードのツッコミが多過ぎて。凄く嫌な気分になったらすみません。

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