「朝増して昼夜の空」2024年8月7日の日記

「それは」と書こうとして「そらは」と誤字した時、僕は思いがけず空のことを考えている。


今日は研修的なやつで、運転の練習をやった。上司の車に乗って、広い敷地へ。車で往復3時間くらいあったのだが、もちろん勤務時間に入っているので今日はほとんど何もしていない。
とりあえず今日の研修で会社のトラックを使って運転できるようになった。明日から少しずつ運転をしていくらしい。研修では過去の事故事例とかも見たので、余計に怖い。とりあえず人を傷つけないようにだけ気を付ける。


退勤。


部屋でちょこっとだけギターの練習をした。大きな声で歌わないようにして、ギターを弾く時も指の腹を使えばそこまで迷惑にはならない。もう暑くて外では弾けないようになっちゃったのでね......。


人の悪口を言うことの面白さがあんまり分からない。良い人アピールみたいになるからあんまり言いたくない。「良い人アピールみたいになるからあんまり言いたくない」と書くことによって、「これは良い人アピールではない」ということをアピールしていて、本当に卑怯な人間だと思う。
これまで生きてきて、人の悪口で盛り上がっている現場を死ぬほど見てきたし、あるいは私も無意識で楽しんでいた側面はあるのかもしれないけれど、やっぱりつまらないなと思う時の方が圧倒的に多い。でも、これだけ人の悪口で盛り上がっている現場をたくさん見てきたら、それが普通というか、人の悪口というのは盛り上がる一つの話題であるというのはいい加減理解できる。悔しいけど、そうやって保たれているバランスみたいなものがあることも、正直に書くと理解できてしまって、だからこそ楽しんでいるフリをしたり、参加こそしなくても、止めることはない。それをしていたら、自分のことを誇りに思うことはできるのかもしれないけれど、それより先におかしくなってしまう。
インターネットを見ても、悪口で溢れていて、現実世界よりも遥かに多くの悪口で盛り上がっていて、ということは、やはり悪口を言ったり書き込んだりするのは本質的に「楽しい」ことなのだろう。そういう人間の部分が嫌だとずっと思ってきて、それは今もそうなんだけど、その楽しさが私には分からなくて、分からないことへの怖さが、最近は特に、ある。「理解した上で自分はやらない」ではなく、「そもそも理解できない」のは、やはり怖い。でも、みんな、「楽しい」と考えて悪口を言っているようにも思えない。ポロっと出た本音が過剰に広がって、盛り上がっていい気になってさらに酷いことを言ったり、輪の中に入りたくて半分嘘みたいな気持ちで悪口を言ったり、共通の話題が欲しくて言ってしまったり、そんなことばっかりなのかもしれない。
空気を汚したくなくて(この場合は「汚れた空気を綺麗にしたくなくて」が正解かもしれない)、悪口に同調してしまったこともある。誰かの悪口を言うとき、そしてそれに賛同するとき、「私に人様のことを言う資格なんてあるのか」ということを考えている。もちろん、あるはずがない。けれど、悪口を言っている時じゃなくても、私はそれをずっとやっている。「人を判断する」ということを、頭の中ではずっとやり続けている。「頭が良い」「頭が悪い」「性格が良い」「性格が悪い」「顔が良い」「顔が悪い」「面白い」「つまらない」「明るい」「暗い」......。
考えなくていいことを、ずっと考えてしまう。ずっと考えてしまうから、考えなくていいように、こうして文章に書いている。一旦吐き出してしまえば、なんとなくスッキリするような気がする。人の悪口を書くのは苦手だから、ずっと自分の悪口を書いている。自分の悪口を書いて自分が傷ついていれば、間違うことはないと心の中では思っている。それが間違いであることも、私が一番よく分かっている。

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