初めて読書会に参加してきました。課題図書:川上未映子「乳と卵」

初めて読書会というものに参加してきました。前々から参加したいなとは思っていたのだが、なかなか都合が合わず、今回ようやく参加することができた。

今回は、読書会前に私がしていたメモと、読書会中に出てきた発言などをメモしたもの、参加してみての感想を順に書いている。


読書会前メモ

○読み辛さ、独特の文体
・読点が多く、句点がほとんどない。句点を用いずに話が変わったりする。
・関西弁と標準語が入り混じっている。
・会話文に「」を用いるときもあれば、読点の連続で表現することもある。また、緑子のノートに書かれた言葉は<>で囲われており、会話表現の多用さが見られる。

○「乳と卵」と樋口一葉
・一度目を通読した後、芥川賞の選評を読むと、池澤夏樹の言葉で「樋口一葉へのオマージュが隠されている」とあった。それを意識しながら二度目を読むと、確かにある。読点を多用する文体が似ている。「たけくらべ」の主人公が美登里なのに対し、「乳と卵」の緑子。p84には、緑子が五千円札を太陽に透かすという動作をしながら、「ここの写真の女の人、たまごみたいな顔してる」という、樋口一葉に加えて小説の題である「乳と卵」にも繋がるセリフ。卵=緑子という説にも繋がる。

○「喋らない」「黙る」シーンの多さ
・緑子は巻子と喋らず、ノートを通して筆談している。
・p12、化粧が濃い巻子に対して「何かしらに阻まれて云え」ない夏子。
・p16、喋らない緑子に対し、「怒ってもしゃあない」と述べ、「そういう時期やと思って、そういうことにして」困りながらもそのまましている巻子。
・p51、銭湯で「特にしゃべることもなく」、「黙って」銭湯にいる女性の身体を見る巻子と、それを見て、仕方なく黙って女性の体を見る夏子。
・p62「それからまた何かを云おうとしたけれど、わたしも巻子の顔を見て待ったが、歩き出して、結局そのまま歩いて家に着いてもそこからそれについては何もしゃべらなかった」
・p62~p63 緑子の日記。
言い合いになったあとの場面で、巻子は起こっているけど黙っている。しゃべったらケンカになるから、またしばらくしゃべらないでおこうと考える緑子。
・p68「三人は黙ったまま残りの食べ物を残さず食べた」
・p86、巻子の帰りを静かに待つ二人。「そして黙ってるのやが、なんとなくそれが普通に黙ってる以上に黙ってる感じがどうしてもしてきて、黙りがうるさいというか突き刺さるというか黙りが笑いかけてくるというかそういう様子で」
・p92「緑子は電子書籍を持ったままそれを黙って見、わたしも黙って聴いていた」
・p93「わたしも緑子もずいぶん長いあいだ黙ったままであったが」
・p96「緑子は口を結んで、目を押さえて涙を垂らす巻子を少し苦しそうに見ながらも黙ったままで、見ていた」
・p102「ずいぶん長い時間を黙って、その背中をさすり続けた」
・帰るときになっても、豊胸手術のこと、昨晩の緑子の父親に会っていたという言葉の真偽についても話さなかった巻子。

印象的な場面を挙げたが、他にも多くの「しゃべらない」「黙る」描写がある。→最後の緑子が喋るシーンに繋がる。

○乳というモチーフについて
乳=巻子。
「父」とも繋がってる?

○卵というモチーフについて
卵=緑子。
・p32「あたしは勝手にお腹がへったり、勝手に生理になったりするようなこんな体があって、その中に閉じ込められてるって感じる」
・最後に玉子を割ることによって、閉ざしていた口を開き、自分の母親に思いを伝える。

○「わたし」について
・「わたし」が夏子という名前なのって中盤くらいになってようやく書かれていた気がする。
・この小説、「わたし」(夏子)についてあんまり書かれていない。何の話か聞かれたら、大体の人は親子の話とか、巻子と緑子の話とか答えると思う。
・一人称小説って割と視点人物についてどんどん掘り下げていくイメージがあったのだけど、中心になっているのは巻子と緑子で、「わたし」についてはあまり語られない。
・緑子と巻子を中心に描いているのに、視点人物がこの二人のどちらかとかではない。
・緑子の考えとかは日記である程度読み取ることはできるが、巻子のことはあまり描かれることはない。巻子目線での物語は結構違うのかもしれないなとちょっと思う。
・巻子と緑子が玉子を割り合う場面においても、「わたし」はそこにほとんど介入せず、傍観者になっている。
・巻子と緑子について深く描写しながらも、最後は「わたし」が自分の身体を鏡越しに見るシーンで終わる。その直前の、二人とお別れするシーンで終わっても違和感がなかったから(むしろ物語の流れ的にはその方が綺麗なようにも思える)、この最後の場面って結構大事かも。
・最後の場面が無かったら、割と安直なハッピーエンドとして捉えられる可能性がある。テーマの中心が「親子の和解」だけになる可能性。緑子が話せるようになりましたね、終わり。では決してない。その先にも果てしない生が続いていて、最後に「わたし」の生理の場面や自分の身体を見つめる場面を描くことで、生が続いていくことのだるさ?どうしようもなさ?を描いている。最後の終わり方ってなんか暗い。
・p95「ああ、わたしはこんなだから、いけないのだ、と思った」→何も言えない、言わない自分への嫌悪感。「わたし」が後悔とか反省する場面ってあんまり無い気がする。

○なぜ巻子が豊胸したいのかについて作中では書かれない。
・p62巻子の「若い、とかじゃないねん」という言葉から、若くなりたいとか、若返りたいという動機でないことは読み取れる。
・p101「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで」という巻子の言葉。ほんまのこと=豊胸の理由?父親のこと?「ほんまのこと」とは何か。

○光の使い方
p91~
・電子辞書をみるために蛍光灯の光を頼りに角度を変える
・台所は電気が消えているため、巻子の背後は灰色
・暗い流しに立つ緑子
・そこに行ってドレッシングを流すわたし
・それを見て水道の勢いをゆるめる緑子
(ここの時点でみんな暗い場所にいる)
・部屋と台所の境目にいる巻子
・台所の電気をつける夏子(夏子が電気つけるのか)、台所が隅々まで明るくなる
→和解?
・巻子、緑子が寝た後で、台所の流しの下で緑子のノートを読むわたし
・花火はしなかった
・巻子、緑子と別れる
・最後のシーン「夕方の光と蛍光灯の光が小さく交差する~」の流れ。光がずっと出てきてるから、気になる。どういう効果とかは全然考えれてない。
・花火とかも意味ありそう~。買った花火をやらないことには絶対に何らかの意味があると思うのだが。

○親子の同化
巻子と緑子が同化するような描写がある。
・目がくるしい、目をあけていたくない緑子と、緑子の指先が目に入って「目が開かなくなるあれ」になる巻子。
・玉子まみれになる二人。
・親子が同化するやつって結構ありがちではある。

○白いドレッシング=精液のメタファー?
・p94「フレンチとか書いてあるけど味も思い出せぬその真っ白のどろりとした液体はところどころがだまになって、わたしは銀色のステンレスのうえにまるまると輪を描きながら中身を捨てていった」
・父親の話の後に出てきた描写だから、父親のメタファーである可能性もある。でも、場面的に父親を捨てる=忘れるみたいな意味とも捉えられない気がする。いや、この後に「わたし」が巻子の元夫について聞くとかだったら分かるけど、結局それもしないし、巻子が父親の話をするわけでもないし。
・生理の血を水で流す場面もあったな、水じゃないと落ちないみたいなことを言ってた(p81)

○「赤いハンカチ」=血のメタファー?
・p102「巻子はズボンの後ろのポケットから赤いハンカチを取り出して何度も何度も緑子の頭についた玉子を拭って、ぐしゃぐしゃになった髪の毛を何度でも耳にかけてやり、ずいぶん長い時間を黙って、その背中をさすり続けた」
・玉子ー卵ー卵子ー生理ー血
・何度も繰り返される生理と出血。それを何度も拭う。緑子の身体の変化に対する不安を、巻子が取り除いていくという描写。

○一番強く感じたテーマ「女性の身体を抱えて生きていくこと」
・繰り返される生理や受精の説明、緑子の大人になること、変化することへの不安。
・「わたし」の生理の場面いくつか。
・最後、「わたし」が自分の身体を鏡で見る場面
・p106「ここではいつでもくっきりと自分の体の全体が見えるのやった」→目を背けることのできない自分の身体。
・p107「どこから来てどこに行くのかわからぬこれは、わたしを入れたままわたしに見られて、切り取られた鏡のなかで、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようだった」→緑子が殻を割り、自分の身体の変化を受け入れて生きていく一方で、その先にいる「わたし」の生も続いていく。p77「生きてゆく更新が音もなく繰り返される」とも繋がる。

○「言う」が「云う」なのなんで?「たけくらべ」は「言ふ」だった。

○『夏物語』との違い
・7章までしか読めなかったので、そこまでの感想。
・基本的な流れは同じだったが、描写が足されたり、少し変わっていたり、場面の追加などもあった。
・夏子について掘り下げる描写が結構あった。
・夏子が小説書いているということになっている。
・夏子が巻子との思い出を回想するシーンなんかも追加されている。
・生活保護の話が出てきたり、コンビニが出てきたりと現代っぽくなっているイメージ。
・p77「人がきれいさを求めることに理由なんて要らないのだから」というセリフの追加が印象的
・p84、銭湯に男性のような見た目をした人が入ってくる描写→自分達の女らしさを意識するみたいな場面の追加もあり、テーマをさらに強めるような場面の追加も見られた。
・葡萄狩りの場面、好き。ここは追加された部分でめちゃくちゃ良かった部分。


読書会中メモ

・独特の文体、ですます調とである調の混同。
・文体が独特だから、Audibleとかで聞いたら面白そう。
・緑子の言葉に対するこだわり→緑子の日記の中で、「初潮を"迎える"」という本の記述に対して、「迎えるって勝手にきただけやろ」と毒づく場面がある。子どもは普通、大人たちの使う言葉を用いて言語を覚えていくが、緑子はそれに対しての抵抗や反発がある。それが日記に表れている。辞書で言葉を調べる場面との関連性。
・緑子は喋らないが、コミュニケーションをとらないわけではない。思っていることはあって、それを外に出したい気持ちはある。閉じ籠るような人ではない。
・メタファーが多く、それ故に普通に考えたら変な場面もある。例えば、ドレッシングを急に捨て出す場面とか、映像として思い描いてみると結構変。ダニ殺すための針を抜かないという描写とかも。
→夏子って結構変な人?という意見も出た。緑子の日記も勝手に読んだりしてたし......。
・「たけくらべ」との比較。「乳と卵」の緑子は成長することを受け入れたが、「たけくらべ」の美登里は子どものままでいたいという終わり方だったような気がする......という意見も出た。
・最後に五千円札を「お守り」として渡す場面。一万円ではなく、五千円札を二枚渡すことに意味がある。
・巻子→胸に関心があり、夏子→顔に関心(コンプレックス?)がある。最後の場面で夏子は自分の顔以外を鏡に写す。顔以外に注目する→身体への関心?顔に対するコンプレックス?
・卵↔ドレッシング=卵細胞↔精子という二つの対比的なメタファーだが、言葉の不一致性がある(卵とドレッシングって全然違うものだ)。冒頭の「卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉にあわせて子、をつけてるだけなのです」という文章に繋がるのでは。
・巻子がせきどめシロップを大量に飲んでいる→せきどめシロップの薬物性。巻子が薬物中毒であった可能性。痩せているという描写にも繋がる。
・緑子は、せきどめシロップを大量に飲んでいる巻子を、何らかの重い病気に罹っていると思っているのではないかという指摘。そうなると、終盤で出てくる「ほんまのこと」という言葉の意味が、巻子と緑子の間で変わってくる。
・巻子がなぜ豊胸をしたいのか。「若い、とかじゃないねん」という言葉があったが、そう思いたいだけなのではないかという説。異性からどう見られるかという視点から抗いたい、異性から見られることを排除したうえで自己を確立したいのではないか。→でも、実際に他人から見たときに、その視点を排除することはできない。その難しさ。
・作品から男性が排除されている。ここまで受精や身体の話をしておきながら、緑子が生まれる元となった父親の話を一切しない。
・卵とドレッシングが混ざらない→受精しない→男性の不在
・好きな文章発表→p28「これは茶というよりはもう黒の域」→夏子の生活の適当さというか、こだわりの無さみたいなものが分かる。
・生理の場面とかは特にリアルで、緑子の成長過程がリアル描かれていてちょっと嫌な感じという女性の意見もあった。今まで言語化してこなかった部分が描かれているから、そこの嫌さ。



読書会感想

・私の他にも初参加者が二名いて、二人とも違う大学の方だった。
・読み込み度も人によってかなり違った(初出を持ってきている人もいれば、さっき読み終わりましたみたいな人もいた)ので、その辺はかなり自由な感じ。
・大体メモしていたことは話に出ていたし、話に出ていなかったことは発言できたので良かった。「云う」についてだけ発言するの忘れてた~!
・私は小説を読む時に(特に、分析しようと思って読む時)、小説の中に全然入り込まないタイプだから、小説の中にガッツリ入り込むタイプの人の意見を聞くと「そう読むのか!」という視点があって面白い。今回は、「夏子って変なやつじゃない?」とか、「いきなりドレッシング捨てるのおかしいやろ~」という結構カジュアルな意見が出てきて、私からしたら全然思わなかった(多分、テクストとして読もうとしすぎている)から新鮮だった。私はずっと意味ばっかり考えていた。
・全然思いついていなかった発言もたくさんあって、めちゃくちゃ納得して鳥肌立っちゃった。「凄~」と思って。こういう経験ができただけで参加した価値ある。
・普段は本当に一人で読書して、たまに感想とかをnoteに書いて、みたいなルーティーンなのだが、こうやってちゃんと準備して話すのも良いな。今回は私がよく読む分野だったから参加しやすかったけど、読書会に参加するために違う分野の本に手を出すのもアリだな~と思った。

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