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「ゼミでピザパーティーをした」2023年8月28日の日記

旅行に行った時の日記を書いた。移動中に少しずつ書き進めてはいたものの、写真を掲載したり、写真を見ながら記憶を辿ったりする作業は疲れた。でも良い日記が書けたと思う。


昨日の夜に家に帰ると、何やら荷物が届いていた。母親が懸賞を趣味にしているので、それだろうなと思って開けるととんでもない量のポテトチップスが出てきた。何かが当たったようだ。

広げてみるとこんな感じだ。デブ罪で捕まって押収された時の写真か?


今日はゼミの中間発表があるということで大学に行ってきた。

発表の前にピザを食べようという話になり、先生も含めたゼミ生でピザを食べた。
普段は頼まないようなマイナーなピザもあり、チーズにピクルスだけが大量に乗っているやつや、パイナップルが乗ったやつなどを食べた。パイナップルが乗ったピザは、アメリカのドラマ「メンタリスト」でも、確か事件が解決したお祝いに食べていた。私は何の事件も解決していないのに食べた。意外と美味しかったな。


こういう大人数でのコミュニケーションって、自分からグイグイ話に参加する姿勢が求められるので私は苦手だ。話を聞いたり、雰囲気を感じるだけで楽しいのだが、気を遣わせてしまっているんじゃないかという後ろめたさは抜けない。

一対一のコミュニケーションなら、相手から発せられた言葉は絶対に自分に向けられたものだし、自分から発するのは絶対に相手への言葉だ。これが大人数になると、誰かの発した言葉に食いついて自分も喋る必要があるし、自分が発する言葉はその場にいる誰かに向けられたものになる。けれど、自分の発した言葉は空気の中に消えていってしまうような感覚になってしまって、なかなか言葉が出ない。結局、ニコニコしているだけのやつになってしまう。


ゼミは何事もなく終わった。多分私が1番進んでいたので、特に何も言われなかった。この調子で、と言った感じか。


ゼミが終わった後、余ったピザを捨てようとしていたので貰い、無理矢理お腹に詰め込んだ。私は目の前で食べ物が捨てられる様子を見るのがかなり苦痛だ。それなら全部貰って意地汚いやつだと思われた方がマシなのです。


残っているピザを食べていると、ゼミ生のうちの1人に話しかけられ、「インスタの歌ってるやつ見たよ!めっちゃ上手いな!」と言われた。私には眩しい目だった。あと、普通に照れた。
でも、嬉しいな。
誰かに何かを褒められるって、考えてみれば最近全然無いような気がする。バイトをしていた時は褒められたりもしたけど、しばらく前からやってないし。
そう考えると、自分と社会との接点って全然無いな。喋る相手も家族か、数少ない友人(しかも毎日話すわけでも無いし)だけだ。
それでかなり幸福度の高い生活ができているということを考えると、私ってもしかして.....。


帰りの電車で、私が座った隣の席に何かが落ちていた。おそらく、前ここに座っていた人が落としたのだろう。
乗客は、私の横にスペースを見つけても、落とし物があると気付いた瞬間に違うところに行く。落とし物を拾う責任を回避するためだ。全員がある程度善人で、落とし物を無視していけばこの落とし物は駅員に渡る。大事なものであれば持ち主が会社に問い合わせ、手元に戻ってくるだろう。しかし、乗客の中に悪人が1人でもいればこの無視の連帯感は崩れる。これがどうでもいいものであればそれでも良いのだが、大事な物である可能性もある。しかし、確かめるためにはそれを拾わなければならない。拾えば、駅員に届けるしかなくなる。私は、人に話しかけるというハードルが人よりも高いので、どうするか迷った。迷った結果、拾って届けることにした。

ちなみに、私は普段こういうことをあまりやらない。多分他の乗客と同様に無視を続けるだろう。ただの気まぐれと、私の隣に無駄なスペースがあって気持ち悪いという理由だ。


叔母が心肺停止で病院に運ばれたらしい。この前広島で会った時に何かで思い悩んでいるということを母親から聞いていたから、もしかしたらと思ったが、そういうわけでは無く、いきなり倒れたようだ。
詳しくは全然分からないけれど、どうやら危ないらしい。助かって欲しい。今は医療を願うばかりだ。

知らせを受けてから、ずっと嫌な感じが付き纏っている。私の知っている人が死んでしまうかもしれない。まだそういう事態になったときの気持ちの整理の付け方が分かっていない。

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