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「犬を愛でて服に毛が付く感じ」2023年2月14日の日記

音声のやつを投稿した。バレンタインデーの思い出を喋っている。最近はやっていないが、またやってみても楽しいかもな。


午前中はまた数学の勉強を少しした。不安を和らげるための勉強という感じがして、あまりためになった感じはない。

昨日唐揚げを食べたのに、今日も唐揚げを作ってしまった。これが健康に気を使わない人間の本気ってものよ。千切りキャベツを下に敷いて唐揚げ丼にした。美味い。


午後から友人の家に行った。この日記にもよく登場するSという人物だ。
友人の家は私の家から歩いて5分くらいの場所にあり、非常に近い。

友人の家は犬を3匹飼っており、私という外部の人間が入ってくるだけでめちゃくちゃに吠えられる。いつもは座って犬を撫でているとすぐに落ち着くのだが、今日は慣れるまでにやけに時間がかかった。
永遠と吠えられていると、出ていけと言われているようで悲しくなった。「帰りたくなるわ」と友人に冗談で言った。

しばらくすると落ち着き、今度は馴れ馴れしく私に近づいてくる。

ペットは良い。人間に飼われているという意識もあまりなく、昼や夜関係なく寝ている。犬の眠そうな顔が好きだ。頭を撫でていると、犬の目がとろんとしていき、だんだんと瞼が落ちていくのを見ていると、「よしよし」と思い、不思議な達成感を覚える。

犬が落ち着いたところで、私の家から持ってきたボードゲームをして遊ぶ。

「マンカラ」というゲームをしたが、シンプルなのにかなり奥深くかなり面白い。
私が強いのか友人が弱いのかは分からないが、ほとんど私が勝ち、最終的には9勝1敗という結果になった。

その後は他のゲームもしつつ雑談もしつつ過ごした。

その後は犬の散歩について行くことになった。3匹も犬がいて大変そうだったので私も1匹持つことになった。
以前もこの友人の家に行った時に犬を散歩させたことは何回かあるのだが、やっぱり緊張はする。犬って何考えてるか分からないし、道路に急に飛び出したりしないかいちいち不安になる。
実際はそんなことはなく、急に立ち止まったりすることはあれど基本的にスムーズに歩いてくれた。

一度誤って引っ張ってしまったときに犬が私の顔をじっと見て、「あれ?いつも散歩してくれている飼い主じゃないぞ?」という顔をしているのは面白かったな。それからちゃんと言うことを聞かなくなってしまったので、飼い主に返した。気づいてないだけだったのか。

毛むくじゃらのモフモフとしたやつがテクテクと前を歩いているだけで、世界にはこれさえあれば良いという気持ちにすらなってくる。やはり私は動物が好きらしい。
でも飼うとなるとまた話は別だな。散歩やら餌やら世話やらでかなり大変そう。責任も伴ってくるし。


家に帰り、震災後文学の本を少し読んだ。
読みながら、震災後文学と言っても括りがかなり曖昧で定義が難しいことに気がついた。
例えば、沼田真祐の「影裏」という作品は震災のことはあまり描かれていないにも関わらず、震災文学として評価されている。震災を強く描いていないものでも、震災文学として評価されているものはたくさんあり、そこの基準がなかなか難しいよなと思う。

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