「次はお前の番だと誰かが囁く」2024年5月16日の日記

祖父の葬儀のために広島に行く。兄の運転する車で出発し、午後2時頃に会場に到着。

これは途中で食べた中華です。唐揚げって別にどこで食べても同じ味だから、初めて行く店で食べる必要ってあんまりないかもしれない。ま、美味しいから食べちゃうんだけど。



母親と姉は先に会場に入っていたので、合流。

叔母が亡くなった時と違って、雰囲気は和やかだった。叔母の時は本当に急な話だったから、本当に空気が重かった。今回の場合は、まあ、祖父の年齢もあるけど、末期の癌であることが半年くらい前から分かっていたから、みんなの中である程度覚悟が決まっていたというのはある。私も、祖父が入院しているときに何回か会ったけれど、別れるたびに最後になるかもな、と胸に刻んでいたし。

祖父はもう棺の中に入っていて、化粧も施されている状態だった。顔だけが見える状態になっていて、白くなった顔を覗く。母親と姉は体を触ったらしく、足がぶよぶよで、お腹がパンパンになってしまっていたと母親が言っていた。

叔母が亡くなった時も強く思ったけど、私はやっぱり「最後に顔を見てあげる」という行為が嫌、だ。死んだ人の顔をちゃんと見ると本当に死が確定してしまう気がするから、それが嫌というのもあるけれど、その人との最後の思い出が、死んだ後になってしまうというのもかなり嫌だ。その人のことを思い出すときに、亡くなった後の顔が浮かぶというのは私は結構辛い。その人との最後の思い出は、その人が生きている間のものにしたい。
大事なこと、と母親には言われてしまったが、私にとっては見ないことが大事なことのように思える。けれど、世代によって信仰は違うから、仕方なく信仰の強い人に従う。私の信仰の無さは、ただ単に強い意思を持っていないということと同義だから、従う。

叔母の葬式も、私は本当に嫌な思い出としてしか残っていない。あの式に何の意味があったのか、まだ分かっていない。一緒に大久野島に行った、あの時の思い出や、祖父母の家でお菓子を食べながら談笑した思い出を、最後の叔母との思い出として残しておきたかった。叔母のことを思い出す時、笑った顔よりも、亡くなった後の顔が先に思い出される。そのことが、たまらなく悲しい。


会場で、通夜が始まるまで家族で話す。母親が色々な話をするのだが、そもそも母親の親戚のこともよく知らないし、葬式関連で分からない言葉もたくさん出てくるし、言葉の意味が分かっても信仰の問題で理解できないこともあって、色々な種類の「分からない」がたくさん出てきて疲弊した。


祖父が入院してからも、母親は祖父に苦しめられてきたと思う。何度か見舞いに行ったことはあるが、毎回母親は祖父に怒鳴られていた。怒鳴られっぱなしの母親ではないので、母親も怒鳴り返して、毎回喧嘩別れのようになっているのを横で見ていた。
喧嘩別れをして車に乗り込むとき、母親は泣いていた。なんでこんな風になっちゃうんだろうね、と呟いて、私は静かに祖父を憎んだ。母親はよく頑張っていたと思う。母親の兄が勝手に絶縁をして全てを押しつけている中で母親の妹が突然亡くなって、祖父が入院することになって、祖父母の介護や施設への入金、誰も住まなくなった家の管理、全部、一人でやっていた。

前回入院している祖父に会って、その時に怒鳴られてから、もう会わないな、と思った。わざわざ広島にまで来てこれか、と正直うんざりした。思ってから、本当に会わないままだった。後悔は、していない。私にとってはそのくらい強い決断だった。

私は、ずっと怒っている。
昔から事あるごとに祖母に怒鳴り付けていた祖父に。介護に耐えきれず、祖母に暴力をふるった祖父に。叔母の葬式に来なかった祖父に。色々としてもらっているのに母親に文句ばかり言っていた祖父に。
私は、ずっと怒っている。
母親に何もかも押しつけて、連絡さえしなかった母親の兄に。相続を全て放棄して葬儀にすら来ない母親の兄に。絶縁したくせに叔母の葬式には来て、泣いていた母親の兄に。今後のことも、何も話し合う気がない母親の兄に。

祖父は亡くなって、母親の兄にはもう会わないだろうという確信ができて、今、この怒りは宙ぶらりんになっている。早く空に放ってしまえば良いんやろうか。母親の兄が死んだら、母親は葬式に行くんやろうか。母親は、ちゃんと怒れているんやろうか。

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