「いけしゃあしゃあと平気なふりをしたい」2024年7月19日の日記

ずっと眠い。


教習だったので会社を出る。気まぐれで、いつも会社を出る時間よりも少し早く出てバス停で本を読んでいた。蝉の声がうるさかったが、しばらく本を読んでいると気にならなくなった。


教習所までのバスで完全に寝てしまっており、運転手に起こされた。


教習。最初からミスをしてしまい、そのままグダグダと小ミスも繰り返した。落ち込む。今日はみきわめの日だったので、これは落ちたかもな~と思っていたら、ギリギリオッケーとのこと。多分人によっては落ちていたかもしれなかったから、とりあえず良かった。検定は落ちちゃうかもな......。なんとか縦列駐車にあたらないことを願うしかない。他は基本的には大丈夫なので......。

帰りのバス停で落ち込みながら、普通免許を取得するために教習に行っていた時のことを思い出した。確か、一緒に入ると安くなるだとかで、高校の部活の友人に誘われて入校したのだった。コロナの時期でやることも無かったし、入校のお金は親が出してくれるということもあって入ったのだ。
運転はそこまで難しいものではなかったけれど、行くたびに疲弊した。誰かに自分の操作を、見ているものを「見られている」という感覚は私にとってかなりのストレスで、知らない誰かに見定められているような感覚だった。自分がこうしたいという運転ではなく、どうすれば口出しされないかという運転に終始していて、教習が入っている日は他の予定をあまり入れないようにしていた。
教習所の近くには本屋があり、教習終わりにその本屋に行くのは楽しかった。その本屋には珍しいことに椅子が置いてあり、店員も近くにいないことが多かった。当時はバイトもしていなかったからお金もなく、毎回その本屋の椅子に座って、買いもしない本を1時間くらい読んでいた。遠野遥『破局』と出会ったのもその本屋だった。次の日に大学の本屋でその本を購入したのだが、今思えば絶対にその本屋で買うべきだったと思う。

話が逸れてしまった。

私は教習を期限が終わるギリギリに取り終わり、免許を取得した後、一度も車を運転することはなかった。そもそも運転する環境がなかったし、自ら運転をしたいと思うほど運転が好きではなかった。私の住んでいるところは車がなくても生きていける場所だったということもある。
そんな私が、また教習に通っている。運転が好きでもないのに(好きか嫌いかが分からないうちに免許を取得してしまったのでイマイチ分からない。教習は嫌いだったけど、運転が嫌いなのかどうかは判断がついていない)、運転が必須となる仕事をしようとしている。不思議なものだ。本当に流されて生きているから、こういうことになる。それもこれもロマンスの定めなら悪くないよな。


退勤。

この本を読み終わった。元々長い小説はあまり読まないのだが、最近は特に短編(それもできるだけ短いもの)小説に興味が出てきてよく読んでいる。あとは私も頑張って小説を書きたいので......その参考になればと思って......。

玉谷晶「移民の味」と尾崎世界観「サクラ」、松田青子「斧語り」が特に面白かった。

祖父が受用していた一本の斧が孫の手に渡り、ベッドの下に放置されることになるが、やがて思いもかけない状況の変化によって活用をされることになる。物で あるはずの斧は、擬人法によって生き返るが、その主体となったはずの「斧」は何に向かって 「語り」はじめるのか。「未知のウイルスが蔓延しはじめ」た「外の世界」は、そのとき「テレビゲームに出てくるゾンビ」の空間へと歪曲していく。

この文章が「斧語り」のあらすじとして解説に書かれており、興味を持った。

斧は雨の日に買われた。

書き出しがこれ。

マスクを外し、頬に跡がついてるよと笑いあっている二人の声を聞きながら、斧はこの先に潜んでいるかもしれない危険の音に耳を澄ませた。

最後がこれ。おもしろ~。


予約していた本が届いたので、自転車で図書館まで。帰りにスーパーに寄って安くなっている弁当を買って帰った。

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