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「寿司、食む」2024年1月6日の日記

昨日放送していた『葬送のフリーレン』を母親と弟と見た。今回からシーズン2ということになるのか。オープニングが変わっていた。エンディングはシーズン1で使われていた曲の2番を放送していた。また見たことがないことを......。


昼に「中華料理 大和」という店に行った。父親に誘われて行ったのだが、テレビとかでも紹介されていて結構有名らしい。

ここは量が多いということで、多少控えめに注文したのだが、想像よりも多い量が来てお腹がいっぱいになった。

皿うどんは野菜が山盛り乗っている。これで900円くらいだったかな。かなりお得だと思います。ちなみに、これがレギュラーサイズで、さらに大盛りもあった。普通の店だとこれが大盛りくらいのレベルなのだが。

続いて牛肉飯というメニュー。
味は牛丼なのだが、タレがトロッとしていて美味しい。これも量が多くて、皿からタレがこぼれ落ちそうな勢いだ。

ラーメンの量も普通の店より少し多めで、チャーシューがたくさん乗っている。脂っぽいチャーシューと脂の少ないチャーシューと豚バラの3種類の肉が入っていて美味しい。

帰る時、店の人が私と弟にお菓子をくれた。どうやら、小さい子どもにあげる用のお菓子が余っていて、賞味期限が明日らしい。かなり大量に余ってしまっているので、もう充分にデカい私たちにもあげるとのこと。しかも小さいお菓子とかじゃなくて普通に通常サイズのキャラメルコーンをくれた。

店の人も良い人で、店の雰囲気や客層も良く、ボリューミーで安く、さらにメニューも豊富とのことでまた是非来たい店だった。

ラーメンを食べたらアイスが食べたくなるといういつもの流れでスーパーでアイスを買って食べた。私はアップルパイのアイス。これはかなり美味しいのでおすすめです。

帰りにスーパーで高いお寿司を買った。私たちの家族がいつも食べる寿司とはレベルが違い、結構高いやつだったので、しばらく寿司の前で悩んだ。何か特別な理由があれば買うのに......!と思って色々と考えてみたが思い浮かばず、最終的には「まあ買うか!」と全員で頷いた。

家に帰ると兄が帰ってきていたので、本来なら1人一貫ずつあった寿司を5人で分けることになった。ドラフト制で何が食べたいかを指名していき、被ったらジャンケンをする方式で選んで食べた。サーモンが特に美味しかった。


宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読み終えた。前回読んだ時は、確か発売してすぐだったと思うけど、その時は「ついに"推し"という概念が文学に持ち込まれたか」という衝撃が強くて、読み返してみると色々なことを見落としていたことに気付いた。小説自体が比較的短いものであることや、安易な文章であること、作品がSNSやオタクを扱っていることからなんとなく軽い作品だと思っていた節があったのだが、ちゃんと読んでみると物凄く重みを持ったものになった。

主人公のあかりは、"推し"のためにアルバイトをしてお金を稼ぎ、SNS上で同じ人を"推し"ている人と繋がり、"推し"のブログを書くことによって承認を得ている。"推し"というものが本当に人生の中心になっていて、"推し"が生きる意味(背骨)になっている。

最初読んだ時は、あかりの気持ちが理解できず、作品と自分にかなり距離のある状態だったのだけど、"推し"という概念が社会にすっかり染み付いて、私自身にもそれなりに身についた今読んでみると、物凄くリアルに感じられた。私自身があかりのようになる未来というのは全く想像できないし、本当の意味であかりの気持ちを理解できているのかは定かではないけれど、確実に距離は縮まったし、本当にいるかのようなリアリティーを感じることができた。なんなら、このあかりのような人物はあちらこちらに存在していて、実は凄く普遍的なのではないかと思えるくらいに私自身の価値観が変化していることにも気が付いた。

「推しが燃えた。人を殴ったらしい。」から始まるこの物語は、ずっと下り坂だ。主人公であるあかりの幸福な姿ってあんまり描かれていない。"推し"を推すことがあかりにとっての幸せではあるのだろうけれど、小説内で描かれていたように、もはやそこには苦しさすらある。
最後、少しだけあかりが前向きになったように感じられるのは、多分、あかりが同一化したかった"推し"の人間としての姿を受け入れたからなのだろう。"推し"と一体化したいということは作品内でずっと描かれていたけど、ようやくそれが不可能であることを受け入れたのだろう。

「"推し"が背骨になっていく」と描写があって最後四足歩行に繋がるのか。最後の描写が、背骨となる"推し"という幻想が消滅したという意味であることに、1回読んだだけでは全然気が付かなかった。恥ずかしい限りだ。やっぱり本って何回も読むべきかも。私のような人間は何回も読まないと意味を汲み取ることができない。逆に、何度読んでも楽しめるところが小説の良さとも言える。

『くるまの娘』が好きで『推し、燃ゆ』を読み返してみたところ、この作品もかなり好きになったので、今度は『かか』も読み返してみようと思う。読んだのは結構前のことで、そこまで強く印象に残っている作品ではないので、また2回目を読むと違って見えるのかもしれない。あと、早く4作目を読んでみたいというのもある。

最後に、これが面白かったので共有しておきます。

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