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「簡単に使うなよ言葉を私も」2024年1月14日の日記

昨日書いた本の感想を記事として独立させた。どうしても日記として埋まってしまうので、読み返そうと思ったときに見つからないんだよな。


震災を皮切りに、ジェンダーの議論、いや、これは議論でも何でもなく、お互いを罵り合って、悪意をぶつけ合って、それを繰り返しているものをよく見かける。

正直な話、私も女性が1日に生理用ナプキンを何枚使うかなんて全然知らなかったし、教えられてこなかった。むしろ、そういうものは「デリケートなもの」として、できるだけ触れないようにという教えられ方をしてきたと思う。だから、知らないこと自体は別に悪くはないと私は思う。
でも、でもね、この「知らないことは別に悪くない」と思っているのが男性側から言っていいものなのか、というのは凄く気になっているんです。それって結局知ろうとしていない自分を肯定しているだけなんじゃない?って。どちらかに属している以上、考えたことは全部そこに属している人の言葉になる。特に性別というのは生まれた時から強制的に決められているもので、そうではない人もいるのだけど、現状そうではない人は特別なものとして扱われている。そして、その人の言葉よりも、その人がどういう立ち位置でどういう人物かというのが「みんな」から重視される。それってちゃんとした議論にならないよね。何を言ったかじゃなくて誰が言ったかを見ているんだから。全部の議論そうなのかな。だとしたらこれほどつまらないものはない。

これはこの日記に書いたこととも共通しているけど、「私が考えている正しさが本当に正しいのかが分からない問題」は解決しようがない。まあ、SNS上で何人かが言ったことが簡単に広がって、それが民意みたいになっていると思い込むのも良くない。あくまでその人が言っているという意識は持っていなければならない。その人が「みんな」ではないので。


母親がまた広島に行っており、姉も土日は出かけていたので、この2日間は父親と私と弟が家にいる生活となっていた。私の両親はそれなりに仲が悪く、というよりは文化圏が違うような対立の仕方をしているので、別の場所で生活している間はそれなりに居心地が良い。多分両親自身もそう思っているだろう。どこかのタイミングで別居でもしていれば両親はお互いにちょうどいい距離感で生活ができていただろうに、子供がいるせいでそういうことができなかったんだろうなというのは思う。

夜ご飯を食べた後で、スーパーにアイスを買いに行った。私と姉の分。スーパーに行くと、この前姉が美味しいと言っていた大福系のスイーツが売っていたので、一緒に買った。

これです。めちゃくちゃ美味しかったのでおすすめです。コンビニでも売っていると思うが、300円くらいするかも。私は200円くらいで買いました。



誰しも特別になりたい欲がある。多くの人から特別だと思われたい、その他大勢とは違う存在になりたい、みたいな欲求ってありふれたものだと思うけれど、誰もが特別になれるわけではない。特別になれるのは、何か特別な能力を持っている人や、運が良い人、誰にも負けない努力をした者ばかりで、基本的にほとんどの人間は多くの人にとっての特別にはなれない。
だから、人は「誰かにとっての特別」であろうとする。誰か1人だけでもいいから、自分のことを特別に思って欲しい。みんなにとっての特別であれないなら、誰かにとっての特別になりたい。多くの人はそういう風に考える。

今はその役割が恋愛だけに限られていると思う。もっと言うと、誰かにとっての特別になる手段として、ほとんど恋愛しか選択肢がない。それって実は物凄く寂しいことなのかもしれないとちょっと思う。

恋愛という概念が当たり前のように特別に扱われていることへの抵抗感は昔からずっとあって、私はそれを気持ち悪いと思っていたけれど、私が抱いていたのは恋愛に対する気持ち悪さではなくて、もしかしたら「誰かにとっての特別になりたい」という欲求の方なのかもしれないとも思い始めた。別にたくさん好きな人がいたっていいと思うし、誰かにとっての特別にならない恋愛のあり方があっても良いんじゃないかと思う。これは多分おおっぴろげに言うとあまり受け入れられない価値観だと思うし、別に私がそうしたいとかそういうわけでは無いのだけれど、やっぱり恋愛に対する抵抗感を細かく分析していくと、こういう思想が私の根底にあるような気がしている。


今日は書くことがあんまり無かったので、考えたこととか最近思っていることメインの日記となった。基本的に私は暗い人間なので、考えたことを書くとどうしても日記全体の明度と彩度が下がってしまう。明日は大学に行ってきます。

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