「正欲」2024年3月21日の日記

昨日は早く寝て、早く目覚めた。朝の集合時間にはまだ余裕があったので、ゆっくり過ごす。朝はコーヒーを飲みたいのだが、まだ電気ポットもコーヒーの粉も買っていない。次の休みに買いに行かなければ。あとは延長コードも欲しい。ベッドの近くにコンセントがないという欠陥があるので。


集合して朝食を食べた後、自己紹介などの時間があった。私の入る会社は同期に高卒の人もいるので、その人たちとは昨日初対面となった。高卒だと四歳下になるのか。私の弟よりも歳下だ。やはり大卒とは雰囲気が少し違い、初々しい感じがして微笑ましかった。


午前中はそんな感じで過ごして、午後から入社式に向けて県外へ出発。遠くの方であるので、私たちは前泊となる。


移動中に映画『正欲』を見た。以下はネタバレありの感想です。


まず思ったのが、人間の描き方がめちゃくちゃリアルだ。細かい仕草、台詞にこだわりを感じた。大学生の感じとか特にリアルだったな。

水に興奮する人の孤独が描かれ、そして、水に欲情する人同士が惹かれていく。

「擬態」という表現は良かったな。『コンビニ人間』じゃん。その後、性行為をしたことがない(やり方すら分からない)二人が、「普通の」性行為はどのような感じなのかを知るために、服を着たまま形だけ試してみるシーンがあるのだが、この場面がめちゃくちゃ好きだった。二人の会話も良い。この場面は、「自分たちは普通じゃないから」と拒絶していた二人が、「普通」ではないとされる二人が、初めて普通の性行為とは何かを試してみる瞬間で、普通とは何かを理解しようと歩み寄るシーンでもある。

ただこの映画は、「普通」ではない二人が出会って、分かり合うというハッピーな展開ではもちろん終わらない。「小児愛者」という分かりやすく社会の害とされる者の存在によって、二人の平穏は呆気なく崩壊する。結局のところ、水に欲情するという「普通じゃなさ」は、社会にとって害ではなく、見え辛い欲望だから「許されている」、「隠れることができている」だけだった。たまたま同級生だったり、たまたまインターネットを通じて繋がることができたりしただけであって、それは「普通」の人に知られた瞬間に全く理解されない。

映画を最後まで見て、結局何が言いたかったのか正直私にはよく分からなかった。普通である人と、普通ではないとされる人の分かりあえなさとか、多様性という言葉の違和感が批判的に描かれているとしたら、そんなものわざわざ再確認させられても仕方ないというか。私にとってそれはあくまで再確認に過ぎなくて、ハッとさせられるような感覚、衝撃はこの映画には無かった。

最初、この映画はマイノリティーを救う映画だと思っていたけれど、そうでは無かった。他の人の感想を読んでいると、マイノリティーの人々を描いて、救っていると書いている人もいたけれど、全然そんなことないと私は思う。むしろ、結局分かりあえないよねという部分が強調されていて、そういった意味でもこの映画のメッセージがよく分からなかった。絶望を再確認しただけじゃん。

映画内では、小児愛者が分かりやすく「普通」じゃない人間として描かれていたような気がするけど、もっとそこも描いて欲しかったなと思う。小児愛者も水に欲望するのも「普通」ではないけれど、そこの違いというか、小児愛で苦しんでいる人もまるごと掬い上げて欲しかったなと思う。映画では小児愛者が児童を傷つけることによって、水に欲望する人たちが巻き込まれて「普通」の人の目に晒されることになるが、じゃあ小児愛者をまるごと犯罪者として扱っていいのかという気持ちもある。誰も傷つけず、ただ自分のもつ小児愛という欲望によって苦しんでいる人もこの世界にはいるはずで、それは水に欲望するのと同列に扱われるべきだと思うのだ。それを描かずに、子供を傷つけた小児愛者だけを描くというのは、すごく不公平であるような気がして、そこは見逃せなかった。この映画を見た小児愛者は傷ついてるじゃん。「普通」をテーマにするんだったら、もっとそこも描いて欲しかった。

あと、検事が「普通」の人の役割を担っていたと思うが、最後のシーンで水に欲情するのは「ありえない」と言っていたのは違和感があった。過去の事件や、水に欲情する人の存在を多少知りつつ、「ありえない」と言ってのける視野の狭さは、果たして「普通」なのか。

最後は結構モヤモヤした感じで終わったのだが、このモヤモヤ感を含めて意図されたものであるような気がする。

あと、これは映画の本筋とは全然関係ないけれど、映画を見ながら、「普通でないことの普遍性」みたいなことを考えていた。

自分自身に「普通」じゃない部分があって、そしてそれを自覚しているとして、同じような悩みを抱えている人がいることを知ったとき、それは勿論救いにもなると思うけれど、そうじゃない場合もある。普通じゃない人間がたくさんいると分かった瞬間、その自分の悩みは普遍性を帯びてくる。自分だけだと思っていたことが、自分以外にも普通にありえると分かった瞬間に、途方に暮れる感覚もあると私は思う。特別な悩みだと思っていたことが、普遍的で、同じ悩みを抱えて生きて「いけている」人間がいるという事実は、酷でもある。


んー、映画自体は割と好きで、映像とか音も凄く綺麗だったのだけど、感想を書いているうちに文句(?)がたくさん出てきてしまった。



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