【文楽】冥途の飛脚、花競四季寿
2023年3月11日(土)、東京都の府中市に文楽(≒人形浄瑠璃)を観に行きました。3月は地方公演という形で、文楽の人たちは全国を回っているそうです。
昼の部は、近松門左衛門の『冥土の飛脚』と、景事で『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)』より「万歳」と「鷺娘」でした。
メモを残したいと思います。
■『冥途の飛脚』について
(1)簡単なあらすじ
飛脚(為替業)の忠兵衛が、三百両を横領し、遊女の梅川を身請けし、最後には二人で心中するというストーリーです。(簡単に書きすぎかもしれませんが、ご容赦下さい。)
こういう横領ものを見ると、私も文楽などに入れ込みすぎて、身を持ち崩し、横領などしないようにしないといけないなと、思います。特に、金融関連の会社に勤めていることもあり、「心中」の悲しさとは別の視点で考えさせられます。
(2)「心中」とは
「心中」というと、「一家心中」や「無理心中」のように怖い印象がありましたが、ある本(※)で、この世で一緒になれないのなら、あの世で一緒になろうという「究極の愛の形」と書いてあるものを見て、「心中物」に対する見方が少し変わった面もあります。
※令丈ヒロ子さんの『曽根崎心中』です。まだ読み終わっていないのですが、読み終わったら別の記事に書こうと思います。
(3)羽織落としの段
忠兵衛が梅川のもとへ向かおうかどうか、思案する場面です。ここで羽織を落とすようですが、見逃してしまいました。「三度飛脚」というのは、当時(江戸時代)の飛脚は、月に三度、大阪と江戸を往復したことに由来するものだそうです(竹本織太夫さんの解説より)。そして、「六道」というのは地獄のことで、名場面と紹介されていました。
(4)封印切の段
忠兵衛は、三百両の封印を切って、友人の八右衛門に投げつけます。封印を切る場面で、三味線が鈍い音になります。ここは私の推測ですが、「封印切」という言葉には、秩序や決まりを破ることも含まれているのかな?と思いました。(考えすぎかも)
(5)『傾城恋飛脚』との違いについて
『傾城恋飛脚』では、八右衛門が友人ではなく、梅川の身請けを張り合うライバルとして描かれています。
■『花競四季寿』より、「万歳」と「鷺娘」
『花競四季寿』は、四季それぞれに趣の異なる四つの舞踊をあてた景事です。今回は、春の「万歳」と冬の「鷺娘」が、上演されました。
「万歳」のように、新年を寿ぐようなめでたい演目は、個人的に少し恐縮してしまうのですが、今回は落ち着いて見ることが出来ました。文楽にも慣れて来たようです。
「鷺娘」は、降り積もる雪の中、寒さに耐える白鷺の精。春は間近です。衣裳の早替えや、傘を用いての所作が面白かったです。歌舞伎の映像をちらっと見たことはあるのですが、歌舞伎はまた違った感じだそうです。
ちなみに、夏は「海女」(つれない男を思う海女、そこに蛸が現れ)、秋は「関寺小町」(小野小町の百歳の姿)だそうです。いつか、観られたらいいなと思います。
(公演パンフレットを参考にした部分があります。)
以上です。